《貸金庫から窃盗》三菱UFJ元行員はなぜ“他人のお金と自分のお金の見境”がわからなくなったのか? 真面目な人間を暴走させた“銀行員のストレス”を考える
「私は私という人間を信用していない」
ま、それはともかく、客の貸金庫を開けた三菱UFJ銀行の管理責任者よ。実は私、そういうことをする人間が何を考えるか想像がつくんだよね。いまでこそ足を洗ったけれど、30代から50代初めまでギャンブル依存症だった私は、賭け事にハマり始めた当初こそ、他人のお金と自分のお金の見境がついていたけれど、現金が数秒であっけなく消えることを繰り返しているうちに、その境がすっかりわからなくなったのよ。 聞けば、この貸金庫の管理責任者は、自分の一存で開けられるマスターキーを持っていたのだそうな。もし、もしもよ。私がその立場にいたら何を考えたか。 ここに何年も開けられていない貸金庫がある。中には現金の束がいくつも積んである。このお金をだ、週末だけ拝借して、勝つ確率の高い競馬のレースに突っ込んだらどうなるか。儲けたぶんは私がもらう。元金は戻す。誰もわからない。私の財布だけが厚くなる──こんなことを考えたに違いないんだよ。 で、問題はそこから先。 このパラダイス妄想を現実にするか、パラダイスと現実は別、と引き下がるか。その瞬間だけで考えたら、ストレスが大きいのはN美さんの例を持ち出すまでもなく、引き下がった方なんだよね。 もちろん、多くのまっとうな銀行員はそんな想像すらしないとは思うよ。でも、真面目人間が何かの加減で暴走することはままあることで、その結果は業務上横領で失職、逮捕。銀行からの返済義務は一生つきまとう。私が他人のお金に手を出さないのは、とんでもなく哀れな結末が必ず訪れるから。ギリギリのところでそう自分に言い聞かせているからよ。 そのくらい、私は私という人間を信用していないもの。何をしでかすかわからない怪しい人間だと思っている。だから、人のお金を預かるようなことはしないと決めている。飲み屋で会計係をさせられそうになっただけでも逃げている。って、自慢にもならないけど。 お札といえば、最近出回っている新紙幣、みなさんはどう思いますか? 「1000円」の字体がおもちゃの子供銀行のようだと私の周囲では大不評よ。「分厚いお財布」がリッチマンの証明でなくなって久しいけれど、持っていてもテンションが上がらない新紙幣で、キャッシュレス社会にさらに拍車がかかりそうな気がするの。そして、ちゃちになった現ナマに手を出す事件がますます増えそうな予感。この予想だけは当たりそうよ。 【プロフィール】 「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。 ※女性セブン2024年12月19日号