「総工費5億円」が今では廃墟に…あの『極悪女王』でも話題 37年前“全女”全盛期に完成の“伝説の施設”「リングスター・フィールド」を訪ねてみた
1980年代、空前のブームに沸いた全女だったが…
『極悪女王』のヒットは、作品のモチーフの優秀性を改めて証明する一方で、90年代以降の女子プロレスが「クラッシュ時代」以上のインパクトを残せなかったことを示唆している。いまなお、一般世間におけるクラッシュ・ギャルズ、ダンプ松本の知名度は、現役の女子プロレスラーたちをはるかに上回るのが現実だ。 松永高司氏とその一族によって1968年に創立された全日本女子プロレスは1997年に倒産(銀行取引停止)し、その後も数年間、団体に残った少人数の選手たちが何とか興行を継続したものの、2005年には事業を完全に停止した。 1980年代半ばに空前のブームを演出した全女が、そこからわずか10年あまりで倒産に至ったのは一体、なぜだったのか。 松永一族の経営による全女の栄枯盛衰について、重要な証言を残していた人物がいた。同団体のリングアナウンサー、広報を務めた今井良晴(ながはる氏である。 今井氏は2013年、がんのため53歳の若さで他界したが、生前の松永高司氏(2009年に死去、享年73)やその兄弟と深い親交があり、2008年に刊行された高司氏の著書『女子プロレス 終わらない夢』(扶桑社)の企画、監修もつとめた女子プロレス界の語り部でもあった。 70年代から松永家と交流し、全女の仕事を手伝っていた今井氏は、団体のレフェリーをつとめていた松永兄弟の四男、国松氏(ジミー加山)の誘いで1991年に入社。90年代以降の全女を裏方として支えた。 今井氏は生前、筆者にこう語っていた。 「会長(松永高司氏)もよく言っていましたが、全女伝統の“25歳定年制”が形骸化したこと。そしてバブルの崩壊とサイドビジネスの失敗。それから倒産前年、資金繰りに窮して無理に開催した日本武道館の興行が致命傷になりました」 1980年代までの全女には「25歳で引退」「3禁」(酒、タバコ、男性との交際禁止)という不文律が存在した。マッハ文朱、ビューティ・ペア、クラッシュ・ギャルズという全女の歴史を彩ったスター選手たちはみな10代半ばで入門を果たし、25歳と定められた「定年」までの数年間を全力で疾走している。
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