【パリ五輪金メダリスト】藤波朱理が寿司屋に弟子入り !?「本当はオリンピックが怖かったんです」
在学する日本体育大学からほど近い都内・世田谷区の寿司屋にて。大将から差し出された大トロを、パリ五輪女子レスリング53kg級金メダリストの藤波朱理(あかり)(20)は「いただきます」と一口で頬張った。 【画像】パリ五輪女子レスリング53㎏級金メダリスト藤波朱理「本当はオリンピックが怖かった」 「溶けた!ほんと美味しい。私、三重県の四日市出身で、お寿司が大好きなんですけど、試合前はもちろん減量中にも生魚なんてなかなか食べられない。オリンピックが終わって、お祝いでいろんなお寿司屋さんに連れて行ってもらったけれど、スポーツ選手だからと気を遣われてしまうのか、職人さんがいつもシャリを大きく握ってくれるんです。やっぱり、シャリは小ぶりな江戸前が最高ですね」 あっという間に一人前を平らげると、「握ってみます?」という大将のすすめに、藤波は笑顔で「一度、握ってみたかったんです」と答えた。 屋号の入った白衣を着て、大将の手ほどきを受けながら中トロを握る。なかなか板に付いた立ち居振る舞いである。 「へい、お待ち!」 そう言って嬉しそうに差し出してくれた握りは、ちょっぴりワサビが利(き)きすぎていたが、それもご愛敬というものだ。 レスリング教室を主宰する両親の元に生まれ、4歳の頃よりレスリング一筋の人生を歩んできた。今後も彼女の人生はレスリングと共にある。それゆえ、ちょっとした″職業体験″がハタチの彼女にとっては新鮮で、刺激的なのだろう。 パリへと出発する直前、藤波は同じ大学の先輩である柔道女子52㎏級の阿部詩(うた)(24)が2回戦で敗れ、畳を降りるや泣きじゃくる姿をテレビで観ていた。詩と親しく、金メダルを当然のように期待される藤波は「このときオリンピックが初めて怖いと思った」と振り返る。 「やっぱり、普通ではない舞台だし、勝ち切ることの厳しさを気付かされましたし、気が引き締まりました」 決戦の地に到着すると、出国前に思い描いていた通りの美しいパリの街並みが目に入る。 「オリンピックの前には、『エミリー、パリへ行く』をNetflixで観て、気分を盛り上げていました。散歩するだけでも楽しいし、選手村から会場までのバスから見えた凱旋門、エッフェル塔……キラキラしていてイメージ通りでした」 各階級2日間にわたるレスリング競技は、両日の朝に計量が実施される。前日計量ではないため、ほぼ規定の体重のまま試合を戦わなければならない。それゆえ、藤波の場合は2ヵ月前から減量がスタートし、時間をかけて動ける53㎏の肉体に仕上げてゆく。 「減量の時期になるとゾーンに入るので、さほどストレスは感じません。ただ、いつも減量前の最後の晩餐(ばんさん)は焼き肉なんです。そして、試合に優勝して真っ先に駆けつけるのも同じ店と決めています。私って、こういう試合へのルーティンがたくさんあるんです」 試合前には気合を入れるために必ず美容室で髪を切り、体重を気にしながら試合前夜には赤飯を口にする。 「海外の試合にもアルファ米の赤飯を持って行っています。試合当日の朝は必ずシャワーを浴びて、靴下やどんなシューズも必ず左足から履(は)く。高校1年生の頃から試合の日はいつもクマ柄の下着を着て戦い、一度も負けたことがありません。ただ、その下着がだいぶくたびれてきちゃっていたので、オリンピックを機にパリでお別れしてきました」 ゲン担(かつ)ぎとして特定のルーティンがあるアスリートは多い。だが、試合前の決め事が多すぎるとそれができない時に不安に陥り、集中を削(そ)がれると口にする選手も少なくない。 「確かにそうした考え方も理解できるんですけど、私の場合はずっと続けてきたことを今さらやめることができなくて(笑)。それに、減量中にやることがたくさんあったほうが気が紛れるというか」 お別れした下着には後日談がある。そのニュースが報じられるや販売元から同じ下着が藤波の元に届いたという。 ◆「負ける怖さ」 試合が目前になって、不思議な体験もした。これまで彼女の耳は至って″普通″だったのが、試合2週間前になって、突然、レスリング選手に特有の、ギョウザのように腫(は)れ上がった耳になったのだ。 「今になって考えると、オリンピック用に用意していた新しい技の練習で、相手の足に耳が触れることが多かったことの影響かなとは思うんですけど、突然だったのでちょっとびっくりしました」 数あるルーティンは五輪のマット上の藤波に平静をもたらした。いつものようにマウスピースを口に装着し、いつものように高速タックルで相手をコントロールしていく。決勝では昨年の世界選手権で苦戦したエクアドルのジェペス・グスマンに対し、10対0で圧勝した。 「これまで出場した大会で特定の選手を研究したことはなかったんです。自分のレスリングを貫けば、負けることはない。そう思っていましたから。だけど、オリンピックは絶対に負けが許されない戦い。前回の対戦で苦戦したこともあって、しっかり対策を練りました」 優勝が決まると、コーチとして帯同していた父・俊一さんに真っ先に飛びつく。観客席によじのぼって、母や祖母とも抱き合って喜びを共有した。 「以前は金メダルを獲ったあとに父を肩車することを思い描いていたんです。だけど、パリに臨むにあたって、夢をかなえたあとにどう動くかは何も考えていなかった。本能のままに動いたら、ああなりました(笑)」 五輪3連覇の吉田沙保里に続く2代目″霊長類最強女子″の称号にふさわしい勝ちっぷりで、藤波は中学時代から続く連勝記録を「137」に伸ばし、表彰式で首にかけられたメダルを愛おしそうに眺めたシーンは、大会のハイライトだろう。 「連勝記録は『気にしていない』とは常日頃から言っているんですが、やっぱり負ける怖さというのは、誰よりもあると思います。でも、そういう気持ちがあるほうが、より強い選手なのかなとも思う。金メダルによって、私自身は何も変わっていないんですけど、私を見る周りの方々の反応というのは違うかな。こういう(ちやほやされる)時こそ謙虚に、自分を見失わないようにしなきゃ。じゃないと4年後のロサンゼルス大会、その次のブリスベン大会の連覇はできない」 二人前の寿司を平らげたあと、店を訪れた老夫婦に藤波は金メダルを触らせてあげていた。「冥土の土産にしたい」とまで口にして喜ぶ老夫婦に、藤波は温かい視線を送っていた。 『FRIDAY』2024年11月22・29日合併号より 取材・文:柳川悠二 取材協力:大松寿司
FRIDAYデジタル