「すごく幸せな時間」豪華メンバーの引退試合に松井大輔は満足気、ハイライトは「やっぱり駒野」「企画させていただきました」
元日本代表MF松井大輔が引退試合や自らのキャリアを振り返った。 15日、『松井大輔引退試合-Le dernier dribble-~STARSEEDS SPECIAL MATCH~』がニッパツ三ツ沢球技場で開催。「JAPAN DREAMS」と「MATSUI FRIENDS」の2チームに分かれ、三浦知良や本田圭佑ら豪華メンバーが集結した。 【動画】駒野友一が吉田沙保里のタックルから生まれたPK成功! 試合は12-6の打ち合いで終了。両チームでプレーした松井は計7得点の活躍を見せた。 「最後自分らしいプレーはなかなかできなかったかもしれないですけど、みなさんと楽しくボールに触れることができました」と試合を振り返った松井。想定していた通りの試合ができたと満足感を示した。 「自分の好きな選手だったり、いろんな方が来られて、すごく幸せな時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございます」 「前半は本気モードでできたら良いなと思ったので、(最初の)20分はすごく良いメンバーを出させていただきました。前半のうちに、早めに点が取れたのは良かったかなと思います」 「本当はもっとたくさんの方に出場していただく予定でしたが、なかなかスケジュールも合わなかったりして来られない選手もいたので、申し訳なかったなと思います」 「けれども自分としては、サッカーもそうだし、アスリートの人たち、また異業種の方だったりとか、タレントさんとか、自分が関わっている方、お世話になった人たちと一緒にボールを蹴るというスタイルの引退試合にしたいなと思いましたし、お客さんが楽しんでもらえるような引退試合になったのかなとは思います」 「最後に一緒にプレーして、パス交換するだけでプレーヤーがどこに欲しいかというのもわかりますし、1人1人のプレーの良さというのが今日見て取れたので、お客さんはすごく喜んだのではないかなと思います」 また、松井は試合のハイライトにも言及。「やっぱり駒野でしょ」と、吉田沙保里のタックルから生まれたPKのキッカーを務め、2010年の南アフリカワールドカップ(W杯)のリベンジを果たした駒野友一の得点を挙げた。 「駒ちゃんもね、僕は小学校6年生から一緒にサッカーをしてきたので、そういう意味も込めまして。彼は引退試合をまだやっていないでしょうし、早めにPKを払拭できればと思いまして、企画させていただきました。本当は外しても良かったんですけどね。彼はやっぱりうまくなりましたね」 さらに、吉田沙保里のPK献上については、企画していたものだったともコメント。香川真司が自ら犠牲になってくれたと明かした。 「昨日、中村憲剛の(引退)試合でまさか沙保里さんがタックルするとは思っていなかったので、2回目になってしまったというのはありますけど。自分はタックルは受けたくないですし、誰が良いかなとずっと考えながらやっていたのですが、最終的に(香川)真司がやってくれるということで、昨日の夜中ぐらいに決まりました」 「僕は駒野とずっと一緒にやっていましたが、(W杯で)PKを外した後に家族となかなか普通の生活ができなかったというのもありますし、それを払拭するためにも笑い… 笑いじゃないですけど、うまく先に進むことができればなと思ったので。友達としてではないですけどね。あとはたくさんの人たちが喜んでくれるような演出がちょっとはできたのかなとは思います」 「(バーに当てろという仕草は?)いや、『バーに当てるなよ』と言っておいた。『ちゃんと決めてね』と。それの方がちょっと緊張すると言っていましたけど(笑)」 引退試合を終え、自らのサッカー人生も回想した松井。京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)から始まり、Y.S.C.C.横浜で終えたプロキャリアのなか、関係者への感謝の思いを伝えた。 「プロサッカーを京都で始めてから、Y.S.C.C.で終わるまで、フットサルに関わったり、フランス、ポーランド、ブルガリア、ロシア、ベトナムといろんな国に行かせていただいて、すごくファン・サポーターに与えていただいたことが多いな、支えていただいたことが大きかったなと思いました」 「自分のプレーを監督や周りの人たちが見守ってくれたような気がしました。なので、この引退試合を機に、いろんな方々に恩返しではないですけど、関わっていただいた方にできればなと思いました」 「プロになるまでもそうですけど、いろんな方々に支えていただいたというのはすごく大きいなと思いました。あとは出会いですよね。カズさんと出会ったりだとか、いろんな人も」 「自分の名前も大きく人を助けるみたいな漢字で、親父がつけてくれた名前ですけど、いろんな人を助けながら。助けたかどうかはわからないですけど、関わりながら人と人が繋がっていく」 「自分はドリブルということを主に感じていましたけど、最終的にスルーパスだったり、(本田)圭佑が決めてくれたりだとか。スルーパスを通すのが好きだったので、自分としてはアシストしながら、人と巡り会えたことにすごく感謝したいなと思います」 「今ここ(会見)にいらっしゃる方も、ずっと18歳、19歳から知っている人もいるでしょうし、今日来てくれた人たちも昔から自分を知ってくれる人が多かったので、そういう意味もあって。自分としては感謝しかないですし、その人と関わることによって自分が成長できたのではないかなと思っています。縁というのはすごく不思議であって、これからもいろんな縁があれば良いですけど、繋いでいければ良いなと思います」 「サッカーは人と人を繋ぐ新しいツールではないですけど、仲良くなったり、僕がここに立っていることによって、いろんな人が繋がれることもそうだし、友達になったり。(サッカーは)僕の人生の一部だと思いますし、いろんな人とこれから繋がって、また恩返しができたり、いろんな紆余曲折をともにできたらなと思います」 また、今後は指導者を軸に新たなキャリアを歩んでいく日本屈指のドリブラー。さまざまな場所で選手の成長を後押ししたいと述べた。 「いろんなところでコーチをやりたいんですよ。1個のクラブにとどまりたくないというのが本音なんですけど。今もいろんなクラブを渡り歩きながら仕事させてもらっています」 「日本代表ほどではないですけど、(良い選手を)輩出できれば良いなと思っています。あと指導者の軸がありながら、また会社を設立できれば良いなと」 指導者以外にも力を入れていきたいとのこと。自らが関わるフットサルを絡めたスポーツ界の成長を考えている。 「Fリーグもそうですけど、フットサルのリーグも理事長をやらせていただいているので。育成年代のボールの扱いだったりとか。この前オリンピックでスペイン代表と日本はやりましたけど、各強豪国と呼ばれる国では15歳だったり、幼少期にフットサルをやりながらサッカーの向上、フットボーラーとして技術を高めていく」 「また、サッカーIQの高いチームが勝つ可能性が高い。そういう意味も含めてフットサル。終わりの挨拶でもありましたけど、そこの技術の向上というのは議題になってくると思うので、自分もコーチをやりながら、フットサルと絡めて、うまく両方が相乗効果になればなとは思います」 「アリーナ競技ということもありまして、アリーナでBリーグさんと提携したりだとか、協力したりだとか、午前中は運動できる施設ができれば」 「サッカーも(シーズン開始が)7月、8月へ移行になったりだとか、できない可能性を秘めているので、サッカーもそうですし、フットサルもそうですし、スポーツもそうですし、いろんな運動だったり、いろんな方々が週末に運動できるようなところができれば良いなと。Fリーグも絡みながら、そういうことができれば良いなと思います」 「また新しいことは来年に取っておきたいな、何かいろいろやりたいなと思っています。1個会社を立ち上げながら、いろんな方、アスリートの人たちを支援じゃないですけど、そういうのができれば良いなと思いますし。あとはしっかりとゴルフを。やめましたサッカーを。ゴルフ中心でいこうかなと思っています」
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