【改元記念連載】「ホモ・ヒストリクスは年を数える」筆者インタビュー 佐藤正幸・山梨大学名誉教授
豊かな紀年文化をつくる「元号」
Q:まもなく新元号になりますが、一方で「西暦だけでいいのではないか?」という意見も少なくありません。 A:西暦は英語で表現するとキリスト教紀年(Christian Chronology)という宗教紀年です。ですから、この西暦を国の唯一の年表記にするのは、信教の自由を定めた日本国憲法に抵触することになると思います。その上、日本はキリスト教国でもなければ、キリスト教徒が大多数を占める国でもありません。 西暦だけで良いと考える人は、現在、世界共通の紀年法がキリスト教紀年であり、4桁のアラビア数字を並べるだけの通年紀年法なので便利だ、とその実用的な面のみを考えているからではないでしょうか。 話は変わりますけど、私はよく外国で仕事をするのですが、ウィンドウズとマックという2つのパソコンをいつも持っていきます。別のシステムを持っていると、どちらかが使用できなくてもどちらかは動くからです。紀年法も同じで、19世紀の前半まではヨーロッパでもキリスト教紀年より「ユリウス通日」「創世紀年」のほうがはるかに有用な紀年法でした。それらを複数組み合わせて、使っていたのです。決してキリスト教紀年が万能ではなかったわけです。世界的に見ても、自分たちの紀年法と世界共通の紀年法を併用するというのが、年表記の基本型だと思います。 Q:元号の良い点はどんなところがありますか。 A:第一に、現在世界で使われている紀年法の中で、年号と呼ばれた時代を含めると、最も古くに考案された紀年法であることです。これは、2000年以上続く長い歴史を持つ紀年法であり、日本だけがこの伝統を維持している国なのです。第二に、このような時代にしたい、なってほしいという願いを込めて元号を選定するので、名乗りとしての紀年法、あるいは名付けとしての紀年法であるということができます。この機能を持つ紀年法は世界中ほかにありません。それと第三に、時代区分としての役割を併せ持つことです。 時代区分ですけれども、最近、新聞を読んでいて本当に驚くのですが、元号を、過去を振り返るときに頻繁に使用しているのです。「平成はこんな時代だった」と。それはなぜか、と考えてみると、元号というのは30年、40年といった時間を一つのまとまったものとしてとらえることができるからです。私たちは、「何年何月」という絶対年代で過去を振り返ることは少なく、例えば「小学校のころは」とか「京都に住んでいたころは」など、ブロックにして過去を振り返ります。「昭和時代」「平成時代」などというほうが、人間としての時間感覚にマッチしているのではないでしょうか。ただ、これがキリスト教紀年となると、100年を世紀として区切り、半世紀、四半世紀という言い方にするしか方法がなくなってきます。 Q:私たちは、「20世紀はこうだった」と振り返ることもできれば、「昭和はこうだった」という振り返り方もできますね。 A:豊かな紀年文化を持っている、といえるでしょう。20世紀、1980年代などしか把握する言葉を持っていないと、うまく表現できません。われわれはそれに比べて、時代区分の尺度をたくさん持っている。これは言い換えれば、それだけ過去の英知を生かすことができる手段を持っていることになると思います。ただ、面白いな、と思うのは、やはり平成の時代を振り返るとなると、話題は国内の話題が多くなりますね。海外の問題について、平成の時代として振り返るということはあまりないような気がします。