朝ドラ『虎に翼』寅ちゃんのモデルが、生涯『わが子』と呼んだ「家庭裁判所」への思い
アメリカの「ファミリー・コート」をお手本に
昭和23年、最高裁民事局で行われたある会議に嘉子は出席していた。議題はやって来る人をさばききれず機能不全に陥っている家庭審判・少年審判への対応。その会議の場で嘉子は初めてアメリカには「ファミリー・コート(Family Court)」なる裁判所があることを知ったという。 この部分は、6月12日に“ライアン”こと久藤頼安(沢村一樹)が、真珠湾攻撃の前年にアメリカに行って視察してきた「ファミリー・コート」の素晴らしさを寅子に語るシーンと重なる。 アメリカの「ファミリー・コート」は、家事と少年問題、つまり家庭に関する問題を総合的に引き受ける裁判所だという。会議は全員一致で、日本版「ファミリー・コート」の導入に賛成した。嘉子はとくに裁判所に「家庭」の名が付くことが気に入ったらしい。「家庭」ということは、女性や子どものための裁判所ができるのではないか、自分が弁護士として目指した思いが実現できるのでは、と感じたことだろう。 当時、嘉子は最高裁判所民事局で働きながら、明治大学法学部での講師も務めていた。嘉子は教え子たちに「今度、家庭裁判所という新しい裁判所ができるのよ」と、嬉しそうに伝えた。 「家庭裁判所ができたら、きっと素晴らしい時代が始まるのよ!」 満面の笑顔で両手を広げながら語る嘉子の言葉は、嘉子の後を追い法曹の世界を目指す学生たちの胸に深く刻み込まれた。 ドラマ内では現在設立に奮闘中の家庭裁判所だが、実際には昭和24年1月1日、全国49ヵ所に家庭裁判所は設置された。それと同時に、最高裁判所事務総局内に新設された家庭裁判所を統べる家庭局に嘉子は配属された。 6月11日の放送回では寅子は桂場から家庭裁判所設立準備室への異動を任命。現在、その家庭裁判所設立のために、寅子は奮闘中なのだが、史実では嘉子は今後大きな活躍をみせていくことになるのだ。
「生みの苦しみ」を味わった家庭裁判所の誕生
ひとまず家庭裁判所が全国にできたとはいえ、そのほとんどは地方裁判所の一部を間借りしただけで、実際の内容はまだ固まっていなかった。しかも大方の裁判官は、家庭裁判所に対して当初から否定的な受け止めをしていたという。 家庭局長の宇田川潤四郎は、家庭局発足直後に全国の長官や所長が集まった会合で、「家庭裁判所の理念(家庭裁判所の5性格)」を発表。ちなみにこの宇田川潤四郎は、ドラマでは滝藤賢一が演じる多岐川幸四郎だと言われている。ドラマでは6月17日からの第12週で、この家庭裁判所の理念が多岐川によって語られていくのではないかと予想する。 ■従来の地方裁判所から独立した裁判所となる[独立的性格] ■真に親しみのある国民の裁判所[民主的性格] ■家事審判、少年審判とも科学的処理を推進する[科学的性格] ■真摯な教育者としての自覚を持つ[教育的性格] ■各種機関との緊密な連携を保つ[社会的性格] 宇田川が掲げた5つの理念は、戦前の裁判所の概念とはあまりにもかけ離れていたので、拒否反応を示す裁判官が続出したのも無理はないことかもしれない。 戦前「天皇に忠誠な官吏」「国家秩序の擁護に任ずる者」を自認していた裁判官にとって「親しみのある国民のための裁判所」などありえない話だし、司法官自身が自らを「真摯な教育者」であると捉えたこともない。福祉・教育機関と緊密に連携することについても「裁判所は学校じゃない!」と、多数不満の声があがった。「どうして裁判所が外部の人間と協力して仕事をしなければならないのだ」「家庭裁判所など潰してしまえ!」という過激な意見を発する法曹界の幹部もいたという。 しかし、事務局として会合に出席していた嘉子の胸の内は真逆だった。このような理念を掲げる家庭裁判所の誕生に自身が携われることに、感激でいっぱいだった。最高裁判所内は敵だらけという環境ではあるものの、嘉子ら家庭局のメンバーは、局長の宇田川を中心に理想の家庭裁判所作りに邁進する。 宇田川が実現させた主な新制度は以下の通り。 ■当事者が仕事後にも参加できるように「夜間調停」を開く ■東京など大規模家庭裁判所内に「医務室」を作り、精神科医を配置して少年事件や家庭トラブルの背景を探る ■審判を受ける少年の家庭環境や生活実態を評定する「新少年調査票」を作成 ■家事相談に応じる窓口を各地に設置 局長の宇田川は、嘉子ら家庭局員の意見を丁寧にすくいあげ、新しい試みを次々に打って家庭裁判所の充実につとめた。しかし、相変わらず家庭局を軽視して、数々の新たな取り組みを異端視する最高裁の局員は少なくなかった。後に嘉子も「最高裁事務総局の中では、宇田川さんを理解している人は本当に少なかった」と回顧している。 けれど宇田川や嘉子の想いを理解する人もいた。それは、初代最高裁判長の三淵忠彦(ドラマでは平田満が演じる星朋彦)と、秘書課長の内藤頼博(ドラマでは“ライアン”こと久藤頼安)だった。病気がちだった三淵忠彦は、退院直後の病身をおして昭和24年の家事審判官会同に出席し、全国から集まった家庭裁判所の裁判官を激励している。 この三淵忠彦は、すでに名前から推測されている方も多いだろうが、嘉子の再婚相手・三淵乾太郎の父だ。後に義父となる人が、周囲から理解を得られない環境で孤軍奮闘する嘉子ら家庭局を心から応援していたのは、まさに「運命」だと感じる。再婚に関するお話はあまりしすぎるとネタバレになってしまうので、現時点ではこの程度にしておきたい。 次回は、嘉子らが作り出した家庭裁判所の詳細と、後進を思って一度は離れた家庭裁判所に嘉子が舞い戻り、再び活躍する様子をお伝えする。 参考文献 『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた‘’トラママ‘’』(佐賀千恵美著/内外出版社)
若尾 淳子(ライター)