1960年に誕生「証券コード」のあまりに奥深い歴史 JR九州のコードが9023にならなかったワケ
統一コードは日本産業分類におおむね準拠する形で作成され、上場会社の業種とコードがひも付けられていた時代が30年以上続いた。 ■証券コードがいきなり変更された企業も その日本産業分類が数年ごとに改訂を重ねるため、証券コードも変更せざるをえなかったと思われる現象も起きている。 たとえば、百貨店の高島屋は1949年5月、終戦後の証券市場再開と同時に上場してから今年で満75年。現在のコードは8233だが、会社四季報1971年夏号までは8103だった。それが秋号からいきなり8233に代わっている。百貨店に付けられていた8100番台が一斉に8230番台に代わったのだ。
セイコーグループも1971年夏号まで7761だったが、秋号からいきなり現在と同じ8050になった。この番号はもともと、1963年に上場廃止になった日本事務光機が使っていた番号だ。 この理由を証券コード協議会に尋ねたところ、「当時の資料がなく、確証はないが、日本産業分類上の百貨店の分類が変わり、こちらも変えざるをえなかった可能性がある」という。 だが、やがて業種とコードのひも付けは支障が出始める。新規に上場する会社がどんどん増える業種と、ほとんど増えない業種の落差は大きく、どんどん増える業種で番号が不足しはじめたのだ。
このため、当初は上場廃止になった銘柄の番号を再利用することで、不足する番号を補う形がとられた。有名なのは、映画会社の大映とエイチ・アイ・エス、安宅産業とキヤノンマーケティングジャパンの組み合わせだ。 同一法人が再上場した場合は、再上場時点で同じ番号が空いていればそれが割り当てられるが、例外もある。現在1443の技研ホールディングスは、2018年1月に株式移転による持ち株会社化で上場した際、このコードになった。このとき、同社は実は実質3度めの上場だった。
そもそも1962年9月、技研興業として東証2部に上場したときの証券コードは1828だった。当時は六脚ブロックの工事とその型枠レンタル事業を営んでいて、工事のほうがメインだったので建設工事業に分類され、この番号になった。 その後経営が悪化し、会社更生法の適用を申請して1970年5月に上場廃止になり、その後再建を果たして1983年11月に東証2部に再上場した。 だが、その際に割り当てられたコードは9764。この時点では1828はまだ空いていたのだが、六脚ブロックの工事ではなく型枠レンタルがメインの事業になっていたので、建機レンタル業のコードになったのだ。