水俣病センター相思社が設立50年で記念イベント【熊本】
テレビ熊本
水俣病の患者・被害者の支援活動を続ける『水俣病センター相思社』が設立50周年を迎えました。 これを記念したイベントが11月3日と4日、水俣市で開かれ、半世紀の歩みを振り返りました。 【水俣病センター相思社 永野 三智 常務理事】 「想像以上にたくさんの人に集まっていただいて、この50年のその時々でいろんな人たちに支えていただいたことを実感している」 水俣病センター相思社は今から半世紀前の1974年、1次訴訟の原告や家族の『よりどころ』として水俣市に設立されました。 患者・被害者に対する支援のほか、水俣病の歴史を伝える考証館を運営するなどして公害の教訓を国内外に発信しています。 11月3日と4日、設立50周年を記念して水俣市でイベントを開催。 初日の3日、水俣市の『おれんじ館』では、元職員などゆかりのある人たちによる座談会があり、半世紀の歩みを振り返りました。 会場では、1次訴訟の原告でもある胎児性患者の坂本 しのぶ さんが『スナックしのぶ』を開店。参加者に名物のミカンジュースなどを提供しました。 【写真家 豊田 有希 さん】 「私はしのぶさんのことを知りたいと思ってしのぶさんと一緒にいて自分がどういうことを感じたか、しのぶさんとやり取りをしながら表現していきたい」 また、坂本 しのぶ さんの日々の暮らしを撮影している写真家の豊田 有希 さんとしのぶさんによるトークイベントも…。 この中で、「最初はメディアに取り上げられるのが嫌だったけど、『逃げてはダメだ』と思うようになった」と話したしのぶさん。 そこには「胎児性患者として水俣病を伝えていく」という覚悟がありました。 一方で、豊田 さんは、小さくなって眠るしのぶさんの写真を紹介しながら、「人前で話す強い姿とは対照的に、いつも今後の生活のことで悩んでいる」と話しました。 【写真家 豊田 有希 さん】 「しのぶさんと出会うことで(水俣病について)考えるきっかけになれば」 また、翌日の4日は、国内外で貧困や人権、差別の問題などを取材するフォトジャーナリスト、安田 菜津紀 さんの講演会がありました。 【フォトジャーナリスト 安田 菜津紀 さん】 「知らないことによって何が差別かも気づくことができない。知らないことによってむしろ誤った情報を植え付けられてしまうかもしれない」 講演の中で安田さんは、旧優生保護法に基づく強制不妊手術の問題や、パレスチナ自治区のガザで起きているイスラエルによる人道問題を例に挙げ、「人間の手によって命の線引きが行われている」と述べました。 また、水俣病の『マイクオフ問題』については、環境省という組織に「人権の視点が欠けていたのではないか」と指摘した安田さん、最後にこう締めくくりました。 【フォトジャーナリスト 安田 菜津紀 さん】 「知ることから(身近な人に)知らせることを少しずつでも広げていくことが、大きな力で断ち切ろうとする力にあらがう何よりの礎になると信じている」 【水俣病センター相思社 永野 三智 常務理事】 「これから水俣病事件を語ることができる人たちがどんどん少なくなっていく中で、水俣病を継承する、伝え続けていくことが相思社の今後の仕事でもある」 来年で公式確認から69年となる水俣病。相思社はこれからも患者・家族に寄り添い、教訓を語り継ぎます。
テレビ熊本