「虎に翼」同調圧力の強い現代日本へ投じた一石 見る人それぞれの「私のための物語」だった
■狭量さが私たちを「スンッ」とさせる けれど、ただのウーマンエンパワーメントドラマなら、ここまでの議論を生むことはなかっただろう。「虎に翼」の真に恐ろしいところは、女性差別との闘いで視聴者を結託させながら、物語が進むにつれて、差別と闘う私たちもまた差別を生む社会の構成要素となっているという自覚を促したことだ。 その発端が、恩師の穂高と寅子の対立だ。妊娠が判明した途端、同じ志を持つ仲間ではなく、「いいお母さん」に仕分けした穂高のことを、寅子は最後まで許さなかった。祝賀会の場で恩師に花束を贈る役目を固辞した寅子に対し、「大人げない」と眉をひそめる声でSNS上は大いに荒れた。
さらに、仕事に邁進するあまり家事も育児も兄嫁の花江(森田望智)に丸投げ状態の寅子を「母親失格」と批判する声も日増しに激しくなっていった。 これらの声が、間違いというわけではない。ただ一つ言えることは、寅子自身は最初から何も変わっていないのだ。納得できないことにおもねるようなことをしないのも、家事より勉学や仕事に燃えるタイプなのも昔から。 なんならそれらを美点とし、猪突猛進な寅子を応援していたはずだった。なのに、寅子が大人になったことで、あるいは権力を持ったことで、見方が変わる。「いい大人なんだから」とわきまえることを求め、「母親らしさ」を押しつける。女性に「スンッ」を強要していたのは、社会や男性だけではなかった。
物言う他者を「スンッ」とさせたい心が、自分たちのなかにもある。誰しもが大なり小なり「かくあるべき」という幻想を持っていて、そこから逸脱した者を糾弾する。 2024年になった今も、私たちが生きづらさに苦しめられ続けているのは、社会の構造だけが理由ではなく、自分と違う他者を認められない狭量さにあることを「虎に翼」は炙り出したのだった。 ■当たり前への爽快なアンチテーゼ ただ、「虎に翼」は決して誰かを断罪するためのドラマではなかった。私たちは無自覚のうちに誰かを差別したり、善意のつもりで他者から自由や権利を取り上げたりする。でも、それらに気づくことができれば、行動は変わる。