小学三年生のときにクラスで「名指しの批判」を受け、糾弾の嵐にさらされた…つらい記憶だが、「よい経験だった」と言えるワケ
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。人生には、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】じつはこんなに高い…「うつ」になる「65歳以上の高齢者」の「衝撃の割合」 『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)では、各ライフステージに潜む悩みを年代ごとに解説しています。ふつうは時系列に沿って、生まれたときからスタートしますが、本書では逆に高齢者の側からたどっています。 本記事では、せっかくの人生を気分よく過ごすためにはどうすればよいのか、『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)の内容を抜粋、編集して紹介します。
友だちという他者との関係
小学一年生になったとき、私も得体の知れない緊張とわくわく感に包まれていたのを思い出します。新しい世界に踏み込むような、何か楽しいことがはじまるような、また、競争の予感やいじめられそうな不安もあり、足の裏が地面を踏んでいないような感じでした。 学童期の子どもは、まずはみんなと同じだという感覚を得て安心し、次にみんなより優れている点を見つけて自信を持ちます。優れている点は勉強にかぎらず、スポーツでも絵画でも音楽でも、作文でも話芸でも手先の器用さ、さらには忍耐強さや記憶力、計算力、分析力など、何でもOKです。容貌や家柄、親の職業や経済力で優越感を持つと、将来、イヤな人間になる危険性があるので、注意が必要です。 自分に優れている点があるという感覚は、主観ではダメで、客観性を必要とします。それを保証するのが友だちです。友だちとの関係には力の強弱や序列もありますが、広い意味では対等で、互いに認め合い、喜びを共有できるような友だちを持つことが、人間としての成長に欠かせません。 友だちは仲間であると同時に、ライバルでもあり、ときに敵対し、味方を増やそうとして、敵の敵は味方というような関係になったりもします。 子どもなりに悩んだり、和解したり、優越感や劣等感を抱えたりして成長します。つらい体験も成功体験も、すべて大人になってからの糧になるので、落ち込まず、有頂天にならずに、上手に乗り越えていくことが肝要です。