阪神・淡路大震災から30年 「若者が語り継ぐことが大事」 出前授業で地震直後のラジオ関西の音声を
発生から30年となる阪神・淡路大震災について学ぶ出前授業が、13日、兵庫県立須磨友が丘高校(神戸市須磨区)で行われ、1年生約240人が参加した。神戸新聞報道部の中島摩子記者と神戸新聞NIE・NIB推進部の三好正文シニアアドバイザーが講師を務めた。(NIE= ニュースペーパー・イン・エデュケーション。学校などで新聞を教材として活用する活動。NIB=ニュースペーパー・イン・ビジネス。ビジネスの場面で新聞を活用する活動。) 【写真】阪神・淡路大震災について学ぶ授業のようす 中島記者は、ラジオ関西が神戸市長田区の火災現場から生中継した音声を生徒たちに聞かせた。 震災の当日、1995年1月17日午前7時20分。記者が男性にマイクを向ける。 「家は全焼してもた」 「ご家族は?」 「長男が倒壊した建物の下敷きになり、そのまま炎にのまれた」 「・・・・・」 やり取りは3分ほど。生徒達のメモを取る手が止まり、スクリーンに映し出された当時の写真をじっと見つめる。目に涙を浮かべる人も。生徒達の表情は変わった。 中島記者は、「インタビューに答えてくれた男性は81歳で亡くなったが、それまで地震について話すことはなかった。長男を助けられなかった辛さを持ち続けていたのだと思う」と話した。そして男性の次男(=震災で亡くなった人の弟)が取材に応じてくれたとして「辛いことを話してもらえたのは当時のことを若い世代にも知ってほしいという思いがあるから。災害はいつ起こるかわからない。起きたらどんな状況になるのか、どうすればいいのか。災害を減らすには何ができるか考えてほしい」と訴えた。 なおラジオ関西では、当時、このインタビューをきっかけに、生放送で被災者にマイクを向けることを控えた。 また震災当日、神戸・三ノ宮にあった神戸新聞の本社で記者として当直勤務をしていたという三好さんは、その時何が起こったのかを話した。「いろんなものが飛んできた。まずロッカー。窓ガラスが全部割れた。ガス臭もしてめちゃめちゃだった」と社内とその周りの惨状を話し、新聞社として被害の情報だけではなく、安全や安心に関する情報も繰り返し伝えたと振り返った。 また今年1月に発生した能登半島地震と阪神・淡路大震災を比較しながら、この30年で変わったことや、新型コロナウイルスへの対応など新たな課題についても話した。 三好さんは「30年経っても伝えるべきことはまだまだある。震災を知らない人が語り継いでいくことが大事。若者こそ震災を語るべき。震災の教訓を学ぶことも大事だけど、当時の話を聞くことも大事です。30年経って初めて話せるようになった人もいます。災害は繰り返す。備えにゴールはありません。神戸の未来は皆さんが考えてください」と締めくくった。 授業を終え、1年の石田瑠梨(るな)さんは、「震災の直後だけでなく、災害関連死など自分が思っている以上に命が奪われている。災害の怖さを経験していないが、改めて自身に対する備えをもっと持っておいた方がいいと思った」と話した。また、授業の中で紹介されたラジオ関西の音声について、浅野十偉(とい)さんは、「ニュースや新聞で見たり聞いたりするより、実際に被害に遭った人の声を聞いて、当日の様子がよりリアルに伝わってきた。助けられなかった息子さんの『親父、もう行ってくれ』という言葉はショックだった」と、声を絞りだした。
ラジオ関西