元巨人・村田修一が月給40万円からの再出発に込めた「僕の道を歩む」の覚悟
前巨人の村田修一(37)のルートインBCリーグ「栃木ゴールデンブレーブス」への入団会見が9日、栃木県小山市のホテルで行われた。約50人の報道陣を前にスポンサーのバナーだらけの背番号「25」のユニホームに身を包んだ村田は「僕の人生。正しいと思う道を進むだけ」と決意表明。すでに栃木県内に引っ越しを済ませ、家事や洗濯をこなす単身赴任生活をスタートさせている。推定の月給はキャンプ中の3月は10万円で4月から9月までは40万円。昨季の推定年俸が2億2000万円だった村田にしてみれば、約88分の1になるが、あきらめずにロマンを求めNPB復帰の夢を追う。栃木とはNPBへの復帰が優先される特別契約が結ばれている。 カメラマンの「笑顔で!」のリクエストにも素直に応じた。村田は、NPB復帰への一縷の望みに賭けて見慣れぬユニホームに袖を通した。 「昨年の10月に(巨人から)戦力外(通告)を受けて、長い間、いろいろと考えたり迷うこともあった。チャレンジにはいろんな仕方がある。他の球団から話がない時点で次の人生にチャレンジしてもよかった。でも、野球を続けたいという気持ちが一番上にきた。その気持ちを抑えることができなかった。NPBを目指す気持ちを汲んでいただき、このチームに入れてもらった。今は感謝の気持ちしかない。辞めるのはいつでもできる。まだ続けるだけの気持ちも体もある」 BCリーグでプレーしながらNPBからのオファーを待つ。執念とも言える覚悟である。 子供達にも背中を押された。 「子供達から、『ユニホームをまた着て欲しい。最後の試合も覚えていない』という話もあった、野球をしている姿をまた子供に見て欲しい」 東福岡高校、日大時代の野球部の仲間たちと酒を酌み交わしエールを送られた。 「『まだできる。このまま辞めるのは寂しいぞ』と言われた。僕だけで決断できないこともある」 栃木がオファーを出したのは1月上旬だった。 だが、村田はNPBのキャンプが終わる2月末までは待って欲しいと返事を保留した。NPB球団からのオファーを待つと同時に「自分の話題でNPBのキャンプを邪魔したくない」との配慮もあった。当初、栃木は兼任コーチでオファーしたが、それは「選手1本で」と断ったという。