【独占スペシャルインタビュー】竹内まりやさんに10の質問。~アルバムについて、人生について~
Q6/お母様のご様子は?
「父の死を乗り越え、今は趣味を楽しんでいるようです」 大恋愛の末、20歳で学生結婚して、6人も子どもを生んで。とても仲のいい夫婦でした。それだけに父を喪った喪失感は大きかったと思うんですよ。でも偉いなと思うのは、3年経ってそれを乗り越えようとしているところです。 96歳になったんですが、ガーデニングと書道とタブレットゲームが趣味で、今も東京の書道教室に通ったりしています。母のその好奇心旺盛な生き方と精神的な強さに、私は影響を受けているような気がしますね。
Q7/まりやさんの歌が時代を越えて愛されているのはなぜだと思われますか?
「達郎の編曲によるところが大きいと思っています」 彼は、時の試練に耐える、普遍性のある音作りにこだわっています。できる限り、時代を問わない音にするには、具体的にどうすればいいのかを考えてアレンジしているんです。そのことがとても大きかったと思いますね。 海外でも近年、84年のアルバム『VARIETY』の中の「Plastic Love」という曲が話題になって。40年の時を経て、海外で人気を得たのはうれしい驚きでした。 「Plastic Love」はもともとは達郎のやるような16ビートの曲が書けたらいいなと作った曲で、お気に入りのトラックのひとつではあったんです。今なら打ち込みで作るグルーブ感を、80年代の日本人のプレイヤーが卓越した演奏によって生み出している。そこが外国の人にとってミラクルだったんでしょうね。達郎のアナログ盤も、海外で人気があるんですよ。
Q8/海外で人気を呼んでいる実感は?
「学生時代のホストファミリーの住む田舎町でも聴かれていたのは驚きました」 高校生の時留学していたイリノイ州の田舎町の電気屋さんで、ずっと達郎と私の曲がかかってるんですって。ホームステイ先の家族の、孫にあたる10代の男の子が、「この人は昔ウチにホームステイしてたんだよ」と店主に言ったら、「ウソだろ」「いや、マジで」という話になったらしいんですよ(笑)。 ステイしていたときの写真を見せて、やっと信じてもらったらしいんですけれど。後日、その店主の方から、達郎と私の肖像画を描いた額縁が送られてきました。