マスク、ワクチン、半導体…コロナ禍と米中対立は、いかに新たな外交的駆け引きの「道具」を生み出したか?
これにより、半導体を利用しているエアコンや給湯器の販売や修理ができない、あるいは自動車の製造ができないなどの事態に見舞われることとなった。影響は2024年になっても続いており、半導体を使用している交通系ICは定期券タイプ以外の新規発行を停止している。そこで、サプライチェーン強化の象徴的な戦略物資として、半導体に注目が集まることとなったのである。 半導体が「戦略物資化」したもう一つの背景に、米中対立の激化がある。中国が軍事的にも経済的にも台頭してきたことに対し、アメリカはこれを牽制し、軍事的、イデオロギー対立だけでなく、経済的にも切り離し(デカップリング)を画策してきた現状がある。だが、すでに第1章で論じたように、相互依存の罠にはまった状態では、米中の経済的関係が容易にデカップリングできるわけではない。米中対立は「米中新冷戦」と呼ばれているが、米ソ冷戦期とはあらゆる面で条件も状況も違っている。米ソ対立の時はもともと両陣営が経済的に分断されていたため、COCOMなどの規制もうまく働いた。だが現在の米中の経済は完全につながっており、米ソ冷戦時のように市場を完全に分けることは不可能である。 そこでアメリカは半導体に象徴される戦略物資・重要品目のサプライチェーンを見直すこととなったのである。こうした対中輸出規制の流れはトランプ政権の後期から始まったが、バイデン政権下でも止まっていない。 なぜ半導体なのか。半導体は、後述するようにその性能が一国の安全保障能力すら左右しかねない、まさに「戦略物資」だからである。現代の生活・経済活動に必要不可欠であり、製造、輸入、物流の動向によって国家に大きな影響を及ぼす物資であるという点で、半導体はこれまでの資源エネルギーに匹敵する存在となっているのだ。アメリカは中国の半導体産業の成長を遅らせようと、アメリカとその同盟国・同志国が優位にある半導体技術と製品へのアクセスを中国に与えないようにするための輸出管理を行なうなど、中国への攻撃を目的としたES(エコノミック・ステイトクラフト)を仕掛けている状況にある。 ESと、日本が進めている経済安全保障は、それぞれ「攻め」と「守り」の性格の違いがあり、丁寧に概念を使い分けていく必要があるが、同じく経済と外交・安全保障という政治の領域が重なった「地経学」の部分に生じているものではある。
鈴木 一人