【毎日書評】変わる鉄道マナー史「なぜ車内のケータイは迷惑なのか?」
電車は運賃さえ払えば、基本的にはどんな人でも乗車できる。電車に乗るために免許・資格は必要ないし、運転は運転手に任されているから、身を任せて気楽な時間を過ごすことができる。 その一方で、他者への気配りも欠かせない。実際・子どもから高齢者までさまざまな人びとが乗車しており、車内ではお互いのふるまいの機微も目に入りやすい。 コミュニケーションも──あえてとろうと思えばだが──すぐにとれる距離にある。「公共交通」と表現されるように、そこは多様な人びとが直接的に対面する空間なのである。(「はじめに、あるいはdeparture」より) 『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(田中大介 著、光文社新書)にはこう書かれています。たしかにそのとおりで、だからこそ私たちは、電車内というパブリックスペースでのコミュニケーションの仕方を身につけておく必要があるわけです。とくに重要なのは、罰則を伴う法律よりも「マナー」なのではないでしょうか。 ただしマナーは変化するものであり、理解の仕方にばらつきが出てくるものでもあります。たとえばそのいい例が、リュックの抱え方の問題です。 近年の電車内ではリュックの前抱えのマナーが定着している。このマナーの広がりは、個別的な違和感が他者と共有され、事業者によって公式化し、規範として定着するプロセスをよく表している。(「はじめに、あるいはdeparture」より) とはいえ価値観は人それぞれなので、“電車内におけるリュックのマナー上の位置”はなかなか安定せず、モヤモヤやイライラの原因になりやすいもの。つまり簡単には定義しづらい、とても難解な問題であるということです。 そこで本書では、20世紀前半から21世紀にかけての日本社会において、どのような鉄道の規範(マナー)が掲げられ、どう社会に結びつけられてきたかを分析しているのです。 きょうは第5章「現代の車内規範:新しいモノの登場と再構築されるマナー」のなかから「なぜ車内のケータイは迷惑なのか?」に焦点を当ててみたいと思います。