【毎日書評】変わる鉄道マナー史「なぜ車内のケータイは迷惑なのか?」
スマートフォンが変えたもの
さらに2010年代になると、それまで「携帯電話」がいた位置に「スマートフォン」がおさまることになります。端的にいえば、モバイルメディアが「電話」という音声通話を主としたツールではなくなっていったのです。 「スマートフォン」、あるいは「スマホ」という表記になって、小さなパーソナル・コンピュータともいうべきマルチデバイス化した情報端末として広く理解されるようになる。 その結果、モバイルメディアは、音声通話のみならず、インターネット、SNS、音楽、ゲーム、画像・映像等のコンテンツ、ショッピング、学習・ビジネス用ツールなどきわめて多様なアプリケーションのプラットフォームとなった。 このようなマルチデバイスを持ち歩くことになれば、日常と非日常、時間と空間を区切ることなく広範な情報世界にアクセスできることになり、その利用の頻度と強度は高くなる。(275~276ページより) すると人はさらに情報空間に没入することになるため、交通空間を軽視するリスクへの懸念が大きくなったとしても不思議ではありません。しかも「通話しない」というマナーが広がり、過去の携帯電話にあった操作時のカチカチ音がなくなり、イヤホンの音漏れ防止機能も高度になっていけば、問題の焦点は「音と声」から「ながら操作」へと移行していきます。 鉄道における「ながら操作」は「迷惑行為」として問題化しており、法律的規制よりも、マナーレベルの規制が重視されている。2010年代以降、社会問題化した「歩きスマホ」もわかりやすい例だろう。歩きスマホに関する罰則規定はいまのところないため、マナーに訴えかける形で、その調整が図られている。(277ページより) もちろんモバイルメディアは単に迷惑なだけのツールではありませんが、だからこそ各人の意識が重視されるということなのでしょう。(275ページより) 近代交通の歴史にはじまり、鉄道における“規範の劣化”、「交通道徳」や「エチケット」と呼ばれる規範の内容や意味などについて考察した、非常に興味深い内容。そんな本書を通じて公共交通の秩序を再考することは、いまここで生きる私たちの将来を見据えるうえでの重要な指針となるかもしれません。 >>Kindle unlimited、2万冊以上が楽しめる読み放題を体験! 「毎日書評」をもっと読む>> 「毎日書評」をVoicyで聞く>> Source: 光文社新書
印南敦史