【追悼・穂積和夫さん】日本のファッション文化と美意識を世界に広めたマエストロ
日本のファッションイラストレーターの草分けである穂積和夫さんが11月26日に94歳で死去した。戦後のメンズファッション黎明期に、アイビールックの男性を描いたイラストで一時代を築いた。作品の世界観は、近年は海外でも高い評価を集めるようになっていた。服飾史家の中野香織さんに解説してもらった。 【画像】【追悼・穂積和夫さん】日本のファッション文化と美意識を世界に広めたマエストロ
日本のファッションイラストレーション界を代表する存在であった穂積和夫氏が、2024年11月26日に94歳で永眠された。「マエストロ」と敬われ慕われた穂積氏の功績を振り返りながら、深い敬意と感謝の意を表したい。
1930年、東京都で裕福な歯科医の家庭に生まれた穂積氏は、第二次世界大戦の戦火を避けて家族とともに仙台市へ移り住む。幼少期から絵を描くことを好んだが、当時、「職業」として認められていなかったイラストレーターへの道を諦め、建築を学ぶ。東北大学工学部建築学科を卒業後、東京の建築事務所で働くが、絵を描く情熱に従う決心をする。セツ・モードセミナーを創設した長沢節氏の新設クラスに最初の生徒として参加し、才能を開花させるのだ。
60年以上愛される「アイビーボーイ」
1954年、ファッション雑誌「男の服飾」(後の「メンズクラブ」)の創刊が、穂積氏のキャリアを開いた。長沢氏の紹介でVANジャケットの創業者・石津謙介氏と出会い、同誌の主要なイラストレーターとして活動。穂積氏のファッションイラストは、単なる視覚的情報ではなく、文化的文脈まで読者に伝えるアートのような力を持った。
メンズファッション誌が黎明期であったこともあり、穂積氏は多様なスタイルに挑戦したが、中でも63年に制作した「アイビーボーイ」は穂積氏の代表作となった。丸顔に赤い頬の笑顔のキャラクター「アイビーボーイ」がアイビールックのバリエーションをまとう幸福感にあふれるイラストレーションである。「アイビーボーイ」はVANジャケットの広告に使われて日本におけるアイビーファッションの象徴となり、後に「メンズクラブ」、80年代の「アイビー図鑑」シリーズ、さらには2010年代には米国人ジャーナリストのW.デービッド・マークス氏の「AMETORA」の表紙にまで登場、世界に親しまれるアイビーアイコンとなった。