【追悼・穂積和夫さん】日本のファッション文化と美意識を世界に広めたマエストロ
「8割にとどめるのが品の良さにつながる」
穂積氏はまた、自らもアイビーファッションに深く傾倒し、しばしば「メンズクラブ」誌上にも登場し、VANのパーティーやイベントにも頻繁に参加する中で、アイビースタイルの生きたお手本「ミスター・アイビー」として普及に貢献した。
加えて和服スタイルやスーツスタイルにおいても成熟した男性の理想像を体現、日本を代表するダンディとして写真集「ジャパニーズ・ダンディ」(河合正人プロデュース、大川直人撮影)の表紙も85歳にして飾った。
穂積氏は何を着ても好感度が高いのだが、かつてその秘訣をうかがったことがある。「8割にとどめるのが品の良さにつながる」という飄々とした穂積さんらしいお答えだった。80歳を過ぎても説教じみたことは語らず、むしろ現代に起きていることを学びたいという向学心を示し、そんな姿勢が穂積氏をフレッシュに見せていた。
1980年代以降は日本の歴史的建造物や町並み、風俗をテーマにした作品を多く手掛け、新たな創作の地平を切り開いた。教育者としても、セツ・モードセミナーや京都デザイン専門学校、昭和女子大学などで後進の育成に尽力している。門下には綿谷寛氏、早乙女道春氏など現在、第一線で活躍するイラストレーターもいる。
ファッションイラストレーションを視覚情報の枠を超えたアートの域に押し上げただけでなく、日本の男性のスタイルの理想像を具現化し、作品と「あり方」セットで日本のファッション文化と美意識を世界に広め、それが評価されることで日本に自信を与えたのである。中でもメンズファッション界に遺した功績は計り知れない。
軽やかでありながら本質を明快に伝える作品、自ら示した日本の男性の装いのバリエーション、そして「少しだけ野暮を残した山の手の粋」を感じさせる率直であたたかい人柄は、時空を超えて多くの人々の記憶に生き続けるだろう。