飛鳥宮跡で最大の大型建物跡、規模・構造が確定…識者「天皇に準ずる人物に関係」
飛鳥時代の宮殿跡、奈良県明日香村の飛鳥宮跡で、過去の調査で見つかった飛鳥宮跡で最大の大型建物跡(7世紀後半)の規模や構造が確定し、調査した県立橿原考古学研究所が27日、発表した。天武・持統天皇が起居した飛鳥 浄御原宮(きよみはらのみや)(672~694年)の内裏の中心的な建物とみられ、古代の宮殿の成り立ちや変遷を知る手がかりになる。 【イメージ図】飛鳥宮跡のイメージ図
遺跡の範囲確認のため、飛鳥宮跡の「内郭」と呼ばれる中枢部の北西外側200平方メートルを発掘調査。2009年度の調査で確認された大型建物跡(東西35・4メートル、南北15メートル)の南東部で、柱を抜き取った穴(長さ2・5メートル、幅1・5メートル、深さ2メートル)が並んでいるのを東西22・2メートル分、南北9メートル分、確認した。4面にひさしの付く格式の高い建物だった。
柱の抜き取り穴にはいずれも、建物の廃絶時に周囲にあった50~60センチ大の石を落とし込んでいた。石の元の役割などは不明という。
規模は、飛鳥宮跡南東部にあり、天武天皇が政務を執った飛鳥浄御原宮の大極殿とされるエビノコ郭の建物跡(東西29・2メートル、南北15・3メートル)を上回った。
調査担当の東影悠・指導研究員は「平城宮跡の内裏正殿と宮殿内での立地や構造が似ており、奈良時代の内裏正殿につながる建物だった可能性がある」と指摘する。
また、調査地東側では、飛鳥 板蓋宮(いたぶきのみや)(643~655年)のものとみられる石組み溝(幅90センチ)の痕跡が長さ2メートル分、出土。大型建物跡で壊されており、前後関係も確認できた。
現地説明会は30日と12月1日の午前10時~午後3時。小雨決行、駐車場はない。
相原嘉之・奈良大教授(考古学)の話「天武天皇が起居したのは内郭の内側と考えており、その外側にある巨大な建物。天皇に準ずる人物に関係する建物で、皇后の ●野讃良皇女(うののさららのひめみこ)(後の持統天皇)の皇后宮がふさわしい。●野讃良の地位が、天皇に比肩するほど高かったことをうかがわせる」 ※●は盧に鳥
◆飛鳥宮跡= 1959年から続く発掘調査で、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮の遺構が重なっていることが判明。2016年、国史跡としての名称が「伝飛鳥板蓋宮跡」から「飛鳥宮跡」に変更された。世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産の一つ。
読売新聞