「仏教とキリスト教」には、なぜ「似た伝説」が存在するのか? 一人の学者が提出した「驚きの視点」
長く関心を持たれてきた「類似点」
アメリカ大統領選での宗教右派の影響が議論されたり、宗教二世の問題が耳目を集めたりと、「宗教」への関心はこれまで以上に高まっています。宗教に関する知識を得ておくべきタイミングが来ているのかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 日本で「宗教」といえば仏教ですが、日本の仏教は、もともとはインドで紀元前後にはじまった「大乗仏教」が入ってきたところに起源をもつとされます。 大乗仏教とはなんなのかを知るのに有益なのが、『大乗仏教の誕生』という本。著者は、京都大学教授で仏教学者である梶山雄一氏(2004年没)です。 同書で興味深いのが、仏教徒キリスト教の類似点について解説している部分です。 19世紀以来、ヨーロッパでは、仏教とキリスト教の類似性に注目が集まっていましたが、当時のそれはかなり牽強付会の傾向があったと梶山氏は解説しています。ところが、1980年代には、A・L・バシャムというインド史の研究者がより実証的に両者の対応関係について考察したそうで……。 バシャムの考え方について紹介している部分を同書より引用します(よみやすさのため、改行などを編集しています)。 〈新約聖書と仏教サンスクリット文献における物語の対応例を挙げたバシャムは、しかし、十九世紀的な仏伝・福音書比較研究を復活させようとしているわけではない。彼の視野は、二つの点において昔の比較研究とまったく異なっている。 一つは、彼は、イエスの伝記とブッダの伝記とのあいだに対応を見ようとしているのではなく、前者と西暦紀元ごろから数世紀間にわたってインドで生成・発展した大乗仏教──あるいは紀元後の小乗経典のあるものとのあいだに対応を見ようとしていること。二つは、キリスト教と大乗仏教とのあいだに、一方の他方からの直接の借用を主張するのではなく、両者の共通の源泉としてイランのゾロアスター教を想定し、その東西両側への影響を考えていることである。 キリスト教と仏教とのあいだのこれらの相似を、偶然に帰してしまうこともできる。また、偶然に帰するにはその数があまりに多いために、なんらかの概括的な判断をすれば、それはきわめて主観的なものとなってしまう。とすれば妥当な唯一の結論は、それらの一致の大部分は西アジアにおける両者に共通の源泉に由来するとすることであり、その共通の源泉としてはイランの二元論が考えられる、とバシャムはいう。 古代イランのゾロアスター教、ズルワン・アカラナ(無際時)やミスラの信仰などの神話が一方で大乗仏教に、他方でバビロン幽囚以後のユダヤ教とキリスト教の神話に多くの暗示を与えた。後代のユダヤ教に始まり、キリスト教において完成されるメシア信仰は、仏教の未来仏マイトレーヤ(弥勒)信仰と関係づけられるが、それらはいずれもゾロアスター教の、世界の終末における救済者サオシュヤントに共通の起源を求めることができる。キリスト教の天使、仏教の菩薩の観念は、ゾロアスター教のフラワシやアメシャー・スペンターに基づいている。〉 〈しかし、バシャムは、大乗仏教がその救済論的・終末論的特徴のいくつかをゾロアスター教から借用した、というべきではなくて、西北インドにひろがったイランの影響が、仏教徒の側がゾロアスター教と似通った宗教的態度をとるための基盤を提供した、というべきである、という。大乗仏教はゾロアスター教からと同じように、ヒンドゥー教からも影響を受けており、また初期仏教や小乗仏教自体のなかに、大乗仏教の教義に成長してゆく萌芽もあった、と論ずる。 なによりも、前二世紀から後二世紀におよぶ期間に、北方および西方からつぎつぎと侵入した外敵によって引き起こされた西北インドの動乱と苦難という社会的情況が、仏教に大きな変化を要求し、大乗仏教の生成を促した、とバシャムは考えている。〉 大乗仏教とキリスト教の類似には、西アジアの宗教・ゾロアスター教が関わっていたと考えられる……。のちに日本にやってくる大乗仏教の淵源には意外なものがあったようです。 * さらに【つづき】「ブッダとイエスの教えの「意外な相違点」をご存知ですか? インド史の大家が語っていたこと」では、ブッダとイエスの相違点について見ていきます。
学術文庫&選書メチエ編集部