小論文で合格、一族史上はじめての 大学生に…注目の文筆家が直面した 外国人の父とのせつなすぎる“断絶”
2023年の父の日にX(旧Twitter)に投稿された「パパと私」というエッセイが大きな反響を巻き起こし、日本最大の創作コンテスト「創作大賞2023」でメディアワークス文庫賞を受賞。新たな書き手として注目を集める伊藤亜和さんの初のエッセイ集『存在の耐えられない愛おしさ』から一部を抜粋し掲載します。 【画像】モデルとしても活躍中! 著者の伊藤亜和さんの画像を全部見る(全7枚)
一族史上、はじめての大学生に
自分が大学に行くなんて、想像もしていなかった。母子家庭で貧乏だし、一族中を探しても、大学に行った人間なんて誰のひとりもいなかったのだから。母はいくつか集めてきた受験生向けのパンフレットの中から、ひとつの冊子を指さして「ここはフランス語の学科があるし、小論文の試験があるから勉強ができなくても受かるかもしれない。受験料は一回分しか出せないから、落ちたら働いて」と言った。 名前はなんとなく知っている大学だったけど、こんな私でもなんとなく知っているような有名大学は、きっとそう簡単に受かるものでもないだろう、とも思った。対策もせずダラダラと過ごして、いつの間にか試験当日になり、観光気分で受験した。小論文のテーマは1行と少し、「なぜ日本人は無宗教だと自称するにもかかわらず宗教行事をするのか」というようなものだった。 短い問題文の下には大きな空白が広がる。今からここを埋めなければならない。少しわくわくした。正解はきっとないのだから、思いついたことをどんどん書こうと思った。小論文としてそれが優れていたかどうかはわからないが、合格できたということは全く見当違いと言うことでもなかったのだろう。かくして私は、一族の歴史上、はじめての大学生となった。
フランス語を学べば、父と“本当の親子”になれるのでは
私の合格した、文学部のフランス語圏文化学科というところは、最初にみっちりとフランス語を学んだあと、フランス語圏に関するさまざまなことについて学ぶことができる。フランス語圏ということは、フランス以外にもカナダやアフリカ、父が生まれ育ったセネガルも対象になるということだ。私は父がどんな人間なのか知りたかった。父の心や思想を作った言葉を学べば、今からでも本当の意味で理解し合う親子になれるのではないかと思っていた。 面接ではいろいろと難しいことを言ったけれど、私がフランス語を勉強する理由なんて、本当はそれしかなかったのだ。最初の授業で習った簡単な挨拶を父に披露すると、父は嬉しそうに続けて早口のフランス語で私に何かを言った。まだ丸暗記で話していただけだったから、あの日父がなんと言ったかはわからずじまいだ。父は難なくフランス語を話すことができるのに、私が得意になってLINEのひとこと欄に書いた「Je le suis parce que je pense(我思うゆえに我在り)」の意味は知らなかった。 父はまともに学校に行ったことがなかったから、デカルトのことなんて知らなかったのだろう。父に「変なフランス語。どういう意味?」と聞かれて、うまく説明できなかった私は気まずそうに笑って「わかんない」と答えた。父は私に「たくさん勉強して。亜和は偉くなる」と言った。大学に入学して1ヶ月ほど経って、私と父は喧嘩をした。それから今日まで、いちども会っていない。もうすぐ10年経つ。 結局、フランス語はロクに身につかないままお情けで卒業を許され、私は社会に放り出された。就活は受かるはずもない高倍率の出版社や、映画の配給会社を数社受けただけで早々にリタイアしてしまったので、これから何をするかはなにも決まってはいなかった。