なぜ男性は自慢話や武勇伝を語ってしまうのか【中年男性、トキメキ美容沼へ】
説教と昔話と自慢話
私が苦手なもののひとつに、過去の自慢話、武勇伝を誇らしげに語る中年男性があります。自分自身がそうなってしまわないよう日々注意しながら暮らしていますが、自慢話を得意とする中年男性に共通するのは、聞き手の女性が「わーすごい」と感心するだろう、という妙な自信を持っているところです。あの根拠のない自信は何なのでしょうか。スヌープ・ドッグがステージに上がってくるときみたいな強めの自信を感じます。タレントの高田純次氏は「年を取ってやっちゃいけないのは、説教と昔話と自慢話」と語っていましたが、こうした節度は大切かと思いました。一方、女性の立場からすれば、歳上の男性に過去の栄光を語られたら、どれほど退屈でも一応は聞いているふりをしなくてはならないし、リアクションに困ったとしても何かしら言わなくてはならない。こうした際に女性が男性の話に感心しているような反応をするのは、ある種の礼儀、義務感、あるいは男性を怒らせないための配慮でしかなく、よく聞けば「わーすごい」は感情ゼロの棒読みだったりするのですが、そのあたりのニュアンスが男性側にうまく伝わらないケースは多いと思います。 【写真】この記事で紹介した、中年男性におすすめの美容液はこちらからチェック! なぜこのように噛み合っていない事態が起こるのでしょうか。最近学んだことなのですが、どうやら男性は、自分に「資格がある」と思い込んでしまっているようなのです。自分の武勇伝に、女性は感心するだろう。何も言わなくても、女性は自分を心配し、気を遣うだろう。放っておいても、家事をしてくれるだろう。女性の容姿を好き勝手に品評しても許されるだろう。なぜなら自分には、その「資格がある」から……。何だかメチャクチャな話ですね。そんな資格は、ツチノコや雪男くらい存在しないのですが、男性はなぜか「自分には資格がある」と誤解してしまいます。アメリカの大学教授ケイト・マンの著書『エンタイトルド 男性の無自覚な資格意識はいかにして女性を傷つけるか』(人文書院)では、男性が抱く根拠のない「資格意識(エンタイトルド)」の感覚が女性を苦しめる理由だと論じられています。これ、怖いですね。とても有意義な本なのですが、男性である私は、読みながら何度も頭を抱えてしまいました。この本に書かれた「男性の無自覚な資格意識」を読んで何も感じない男性は、かなり鈍感ではないでしょうか。女性アイドルの見た目をあれこれ品評する男性ファンは、「自分ごときが人の容姿をジャッジできる立場なのだろうか」などと考えたりはしません。