なぜ男性は自慢話や武勇伝を語ってしまうのか【中年男性、トキメキ美容沼へ】
家事をせず遊びに出かけてしまう夫
こうした「資格意識」がよく表れる現象のひとつに、夫婦における家事の分担があります。『エンタイトルド』で紹介されているケースでは、結婚している女性が、自分の夫を評してこう言っています。「トム(夫)は、私が経営するホテルのお客さんみたいなのだ」。この文章を読んだとき、ちょっと冷や汗が出ました。わー、ごめんなさい! 私は結婚していないのですが、もしパートナーがいたら、この夫みたいに無神経な態度を取ってしまいそうな自分が想像できました。自分の家を、帰宅すればハウスキーピングと清掃が済んでいるホテルの一室のように思っている男性。同様に、夫が家事をしてくれないという不満はSNSなどでもよく目にします。家事を負担する女性の側は、確実にストレスが蓄積していくのですが、夫はといえば「友だちと自転車で走ってくるね~!」と元気いっぱい遊びに出かけてしまうのだそうです。「長時間労働の父親には、より多く育児をしてくれる妻がいるが、長時間労働の母親には、より多くの睡眠時間を取り、テレビを視聴する夫がいる」。夫の自転車をレンチでバラバラにしたい気持ちになりました。家事してよ! かかる不公平な状況の原因として、「男性には、女性のケア労働を享受する資格がある」と考える男性の傲慢さがあるのではないでしょうか。 こうした状況を受け、ケイト・マンは「あなたが常に割れたクラッカーを食べなくてもいい」と書いています。この言葉には胸を打たれました。女性があらゆるものごとをフォローしなくてもよい。自分の都合や楽しみをあきらめてまで、周囲を優先させなくてもいい。まずは男性の資格意識をどうにかしてなくし、フェアにものごとを分担する気持ちがほしいと彼女は訴えています。こうした不平等の一例として最近見聞きした例でいうと、結婚して子どもを産んだ女性タレントが、SNSでどこかへ遊びに出かけた投稿をすると、すぐに「子どもの世話はどうしたんですか」とコメントがつけられる状況があると思います。遊びくらい行かせてよ。一方、子どものいる男性タレントにそんなコメントはやってきません。つまりは多くの人が、男性の資格意識(ケア労働は女性がするべき)を前提に役割分担を考えてしまっているのです。世の中がそのような考え方に支配されてしまっていて、抜け出すのが難しい。これはずいぶん根が深い問題かもしれません。