「個人特定力の戦争」が始まった――香港「覆面禁止法」が生まれる背景
香港で10月5日、警察の許可がないデモにマスクなどで顔を覆って参加するのを禁止する「覆面禁止法」が施行されました。行政長官に超法規的な権限を与える緊急状況規則条例を発動、民主的な手続きを省略するやり方に、批判が集まりました。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、この「顔」をめぐるニュースについて「きわめて現代的で重要な問題」を感じるといいます。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
監視カメラとマスクのイタチゴッコ
香港の民主化要求デモに対して、政府は「覆面禁止法」を制定施行した。デモ参加者がマスクをすることによって監視カメラによる個人特定ができなくなることを防ぐためだが、それに対する反発もあり、マスク着用のデモが続いている。まだ収束の方向性は見えていない。 覆面、頭巾、仮面などのツールによって顔を隠すのは昔からのことだが、犯罪もしくはなんらかの秘密の行為が目的であった。1970年前後、日本の過激派もマスクを常用したが、催涙弾からの防御と、顔を特定されないためで、マスクをつける側に「通常のデモを逸脱する破壊的な行為である」という意識があった。 しかし街頭に張り巡らされた監視カメラ網と顔認証システムが高度化し、デモ参加者が衛生用のマスクという簡易な手段で対抗し、またそれに対してマスクを禁止する規則をつくるというようなことは前代未聞である。この顔をめぐるイタチゴッコのような現象が、きわめて現代的でかつ重要な問題を浮かび上がらせているような気がする。大衆あるいは群衆における「個人の特定」という政治的課題とその技術の問題である。 もともと監視カメラというものは、プライバシーの侵害という決して小さくない問題をはらんでいるのだが、テロや犯罪の多い現代社会では、それが捜査目的に限定使用され、そのことによる抑止効果があるという「暗黙の了解」によって認められているのである。つまり背に腹は代えられないということだ。特に、自爆を前提とした無差別テロは、新しいタイプの戦争でもあり、被害者の生命を奪うばかりでなく、それに対する防御策をとらせることによって世界の市民社会におけるプライバシーを破壊したといえる。