「個人特定力の戦争」が始まった――香港「覆面禁止法」が生まれる背景
情報技術と個人特定
現在の中国では、数億台の監視カメラが設置され、しかもその映像からの顔認証による個人特定技術は世界トップクラスとされる。プライバシーという点からはかなりの問題であるが、中国人の多くは、犯罪が減るという効用の方を重視しているようだ。しかし政治権力がデモに参加した個人を特定し記録し、個人データの蓄積に組み込むとなると、これは中国にとどまらず、国家主義的潮流が支配的になりつつある現在の世界において、個人と権力の関係に新しい問題が発生したというべきだろう。 もちろん、ITの急速な発達が背景となっている。 監視カメラ網の高度化がなければ、街頭行動のすべてがこれだけ記録されることもなかった。また自動的な顔認証技術が発達しなければ、すべての個人を特定することも不可能であった。動画撮影、パターン認識、そしてAIなどの技術が急速に発達したことによる問題なのだ。 特に中国では、キャッシュレス経済が進み、個人の信用が数値化されるなど、ネットにおける個人の特定とその評価の技術が高度化し、企業の採用、あるいは結婚、恋愛、友人関係にまで応用されるという。個人特定力の発達が、犯罪の捜査と防止を超えて、社会一般の経済行為と人間関係にまで及び、それが今回は監視カメラと結びついてデモ対策のイタチゴッコとなったのである。いわば、ネットをつうじた個人データの集積と、街頭カメラの顔認証とがドッキングした「個人特定力の戦い」が顕在化している。
巨大人口国の自由と統制
中国やインドのような巨大な人口を抱える国の近代化は、欧米や日本とはまた異なる意味をもつであろう。人口の「数の論理」が、近代的な自我と個人の確立を基本とする社会の成立を困難にしていたと思われる。もちろん人口だけではなく、識字率や中産階級率も関係するに違いない。 この数の論理を克服しながら統制を保つ枠組みとして、英国から独立したインドではヒンズー教とカースト制が、過去の王朝に決別した中国では共産主義が存在したとも考えられるが、現在は両国とも、経済発展とともに「個人の自由」の意識が高まって、そうした枠組みが弱くなりつつある。そして両国とも、工業技術を通り越すように情報技術が急速に発達している。巨大な人口を抱える社会における、自由と統制の相克は、われわれの想像を超えるところがあり、そこに犯罪防止ばかりでなく、課税、取引、入試、採用、婚姻などにおいて、個人特定という情報技術が適用される契機があるのだ。 中国では文化大革命から改革開放へと大きく舵を切ったが、今は官僚腐敗の弊害を抑えるための粛正に傾いている。そしてそこにも、何らかの個人特定力が必要とされている。そしてまだ、匿名の大衆が発信するインターネットは強く規制されている。情報の発信と受信が個人特定力を超えることを恐れているのだ。内政における「個人特定力の戦争」が起きているといっていい。