「ワシ、投げるから」先発が続投なのにマウンドへ…“批判されたエース”金田正一の埋もれた事実「メジャーも熱視線」「巨人移籍後の成績は?」
NPB最多298敗も偉大な記録なワケ
こうしてみると、金田の400勝には実力以外の部分もあったことがわかるが、それにしてもこの記録は偉大だ。ただ――金田の偉大さは「通算最多勝」だけでなく「最多敗」記録保持者でもあることだ。 〈歴代通算敗戦数5傑〉 1.金田正一298敗(1950-1969/20年)944登板 2.米田哲也285敗(1956-1977/22年)949登板 3.梶本隆夫255敗(1954-1973/20年)867登板 4.東尾 修247敗(1969-1988/20年)697登板 5.鈴木啓示238敗(1969-1988/20年)703登板 こうしてみると、敗戦数上位には弱小球団に所属した大エースが並んでいることがわかる。 巨人は1960年代から先発、救援の分業を進めた。このため巨人からは300勝投手は出ていない(最多勝は南海から移籍した別所毅彦の221勝)。 金田正一は「もし、わしが最初から巨人で投げておったら、ノーヒットノーランを連発して600勝はしておっただろう」と語っている。金田が国鉄に在籍した1950年から64年、国鉄スワローズは833勝1070敗41分、勝率.438だった。これに対して巨人はこの時期、1173勝739敗41分、勝率.613だった。勝ち数の差は340勝、国鉄時代の金田は勝利数の42.3%を1人で稼いでいた。 単純計算で巨人ならば144勝が上積みされたことになるが、1950~60年代の巨人には別所毅彦のほかに、藤本英雄、中尾碩志、堀内恒夫と200勝投手が3人。また大友工、藤田元司、城之内邦雄、高橋一三などの100勝投手もいた。国鉄のように金田が先発救援で大車輪の活躍をすることはなかっただろうから、そこまで勝利数は増えなかったと推測する。
リリーフとして現代なら93セーブ、防御率1.85
金田は国鉄、巨人通算で944試合400勝298敗、5526.2回、4490奪三振、1808与四球は史上最多。防御率は2.34だった。現代のルールで換算すると勝敗数が変わってくるが――先発と救援に分けると以下の通り。 先発では569試合218勝175敗、4370回、防御率2.32。救援では375試合132勝69敗。93セーブ、4ホールド、防御率1.85を記録している。優に超一流の先発投手と救援投手2人分の活躍をしたことになる。 なお弟の金田留広は東映、日拓、ロッテ、広島で128勝109敗2セーブ、防御率3.25を記録した先発投手。甥の金石昭人も広島、日本ハム、巨人で72勝61敗80セーブ、防御率3.38を記録。正一の弟で留広には兄にあたる高義、星雄もプロ入りしている。またロッテオリオンズの監督として優勝、日本一を記録。さらに「プロ野球名球会」の設立にも尽力した。 金田正一は、2019年に死去。色々な意味で、これほどの投手は出てこないだろう。※参考文献:『国鉄スワローズ1950-1964』(堤哲著:交通新聞社新書) 〈第1回からつづく〉
(「酒の肴に野球の記録」広尾晃 = 文)
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