【中越地震20年】水没した集落でつなぐ震災の”記憶” 復興に向けて歩み続ける 震災復興資料館「郷見庵」とは
■「震災の記憶を伝える」
今でも全国から多くの人が訪れる「郷見庵」。智美さんはできる限り、震災の記憶を伝えています。 <娘・智美さん > 「どん底に落ちた木籠集落をいろんな方々の力で支えてもらってまたこの集落に戻ってきたっていう皆さんのありがたい気持ちは無駄にはしちゃいけないと思ってる感じです」 そして、ことし新たに始めたこと……当時、集落にいた人などの証言を聞き取り記録に残すことにしたのです。 一瞬にして奪われたムラの日常。どのように避難したのか。そして、その時の感情…… 当時の記憶を細かく聞き取っていきます。 この日、訪ねたのは地震当時、山古志の診療所で看護師として働いていた星野順子さん……看護師を目指す小雪さんも一緒に避難所の様子などの話に耳を傾けます。 当時、仕事で山古志を離れていた智美さん。初めて知ることもたくさんあります。 <孫・小雪さん> 「遊んでいる記憶しかない感じだったんですけど、その中で看護師としてみんなに安心して暮らしていけるように看護があったんだなと知れて、 頑張って看護師になります」 2日前……郷見庵には多くの人が訪れていました。復興を応援してくれた人に向けた感謝祭です。 <訪れた人> 「私も地元のもんじゃないからわからんけど(餅つきは)ここは昔から3人づきでやって治二さんがこうやるんだと教えてくれて」 治二さんがつないできた交流は今も続いています。 <娘・智美さん> 「20年目ということで今になって山古志がどのような みんなが行動をとっていたのか調べてみましたので発表させていただきます」 智美さんが集めてきた証言。この日初めて、訪れた人に伝えます。 <娘・智美さん> 「ドーン、バッシャーンみたいな 山崩れが起きて、土砂が川の中に落ちる音はすごかったと。(近所の)お母さんは裸足だったんですって。その日はたまたま自分が靴下2枚を履いていて、自分の靴下を履かせてあげて、 人が履いたのかもしれないけど これで温まっててねっていうことで一晩明かす」 地震の恐怖、避難の大変さ……映像や写真では伝えきれない生きた証言です。 <訪れた人> 「地震の恐ろしさ、災害が起きたときにどう行動をとったらいいかを知った」 <訪れた人> 「当時の話、そこにいた人の話を聞くと思っていた以上に大変だったんだなと思って」 地震後、ふるさとを離れる人もいました。山古志の人口はいまも減り続けています。それでも…… <松井キミさん> 「木籠は復興したね。地震の前よりも良くなったし、 これだけの人が来てくれるのは 何よりだよね」 <娘・智美さん> 「地震のことをきっかけにみんなで地域で支えあえたり、 声を掛け合ったりみんなでいろんな気持ちを共有していくことが大事かなと思いました」 多くの人の支援を受けながら復興の道のりを歩んできた木籠集落。震災で失ったものもありましたがあの日の記憶をつないでこれからもふるさとを守っていきます。