日本のピッツァの概念を変える新たな挑戦! 才能あふれる若きピッツァイオーロの展望に迫る
本田:その後はどうしたの? 修業を続けた?
冨永:ピッツァの有名な所を見てみようとイタリア各地を回りました。その時に訪れたのがヴェローナの「I Tigli(イ・ティッリ)」です。そこで、今で言う「ピッツァ デグスタツィオーネ」と出会いました。生地や形状、トッピングがさまざまに異なるピザをコース仕立てで楽しむスタイル。こういうスタイルもイタリアにはあることを学んで、帰国後、そのスタイルを取り入れながら、高加水の生地を使ったピッツァをやってみたいと思い「TOMMY PIZZA」をオープンしました。 本田:ヴェローナがグルメピザとデグスタツィオーネで有名になったのはこの「I Tigli」でしょ。発祥の店だよね。ここに食べに行って影響を受けたと。いつぐらいに行ったの? 冨永:5年前ですね。 本田:まだイタリアでもデグスタツィオーネが根付いていなかった時だよね。 冨永:イタリアでは少しずつ始まっていて、その流れがくる印象はありました。「I Tigli」が始めて、周りの店がそれを知って、真似をしている。すでにフランコ・ペペさんも活躍していたので、片鱗は見えていましたね。「これは日本にはないな」と直感したので、日本でも模倣してみたいと思いました。このスタイルがいいなと思ったもう一つの理由は、ピッツァを楽しむ時、イタリア人みたいに1枚を食べるのではなく、日本人はピースでいろんな種類を少しずつ楽しむ方を好むだろうと思ったからです。自分もいろんな味のピッツァが食べたい時、1ピースずつの方がいろんな種類に挑戦できることもあり、デグスタツィオーネは日本人向きかなと感覚的に思いました。
本田:ローマ、フィレンツェでピッツァを学んで、ヴェローナの「I Tigli」で方向性が定まったみたいな感じか。イタリアではいろいろピザを食べて回った?
冨永:聖地であるナポリに行って「Gino Sorbillo(ジーノ ソルビッロ)」「50kalò(チンクワンタ・カロ)」などの有名店に行きました。いろいろ回ってみると、クラシックなものがありつつ、革新的なものもある。新しいピッツァが台頭している片鱗が見えたのはすごく刺激的でしたし、学びが多かったです。 本田:スクールってどんな感じなの? 冨永:実際の店舗に行って、そこのシェフが師匠となって、勉強を含めて研修までがパッケージになっています。そういうスクールに2店舗、通いました。最初はピザの歴史や発酵、小麦についてなどの座学。イタリア語なので全部は理解できないんですが、意味としてはこういうことかな、こういう考えが大切なんだなというのは理解できました。その後は店舗で実地研修。最初は見習いで、徐々に一人でやるようになります。 本田:独立しようと思ってイタリアで学んできた? 冨永:いずれはそうなりたいと思っていました。ただ、その道筋は正直見えてなくて、どうやったら独立できるのかなというのは、自分の中で探り探りでしたね。自己資金を貯めて、店舗を持つまでの時間は、やっぱりかかりました。 本田:帰ってきて、日本のピッツェリアで少し修業した? 冨永:師匠はイタリアにいるので、どちらかというと、上のポジションについて、ある程度自由にできる店を探しました。経営面などを学べる機会を作らないと、店を持つのは難しいだろうなというイメージがあったので。 本田:そこで経営面を学んだり、資金を貯めたりしている傍ら、自分で試作したりとかもした? 冨永:今のピッツァの形というか、方向性が定まったのは、自分の店を持ってからですね。能田シェフとかにアドバイスをいただいたりして、ようやくこのスタイルをやっていくことが定まった感じです。