【特集】過労死した役場職員 山古志の復興のため奔走…震災の教訓と遺族の歩み 中越地震から20年《新潟》
業務量は多いが「大丈夫です」
〈筑波大学 松井豊 名誉教授〉 「業務量はすごく多いんだけど、大丈夫ですって頑張っている方が多かった。自分自身のことができないままずっと仕事をし続けているという状態」 全国の自治体から応援の職員が派遣されましたが、業務体制の違いや宿泊施設の確保など課題が重なり、負担の軽減につながらないケースもあったといいます。 そのうえで、自治体は応援の職員を受け入れる想定で訓練を行い、職員の負担を減らす仕組みを講じる必要があると指摘します。
孫が成長
中越地震で息子を亡くした星野さん夫婦。 地震からちょうど20年後となる10月、コイの池上げを行っていました。 この日は、二人だけではなく、にぎやかな様子。 「やばいやばい逃げちゃった。じいちゃんコイが逃げちゃった」 まだ慣れない手つきで祐治さんを手伝うのは、孫の咲穂さんです。 Q)お孫さんも一緒に手伝ってくれてうれしいですね 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「ね~、最高らて。鯉は特に好きみたい」 恵治さんの姉の子で、地震当時は3才でしたが今では23歳。 山古志が大好きな自慢の孫に成長しました。 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「咲穂は角突きの牛が大好きんがよ」 〈星野さん夫婦の孫・咲穂さん〉 「そうなんです、でもことし行けなくって。いろいろありまして」 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「ねえ、いろいろあったね。人生はそうらよ、いい時もいっぱいあるし」
「支えてもらってここまで来た」
恵治さんが好きだった山古志を取り戻したい。 その思いで守り続けてきた田んぼやニシキゴイの池。 池にうつっていたのは、亡き息子を心配させないために20年間歩み続けた二人の姿でした。 〈星野祐治さん〉 「20年かね」 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「苦しかったね」 〈星野祐治さん〉 「まあなんとかやってこられただけ、いいんじゃないですか」 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「周りの皆さんから支えてもらってここまでこられたと思います。負けてらんないもんね」 20年たった今の山古志の姿を空から見守る息子に届けます。 「恵治、ことしも立派な鯉があがったよ」 2024年11月6日「夕方ワイド新潟一番」放送より
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