【特集】過労死した役場職員 山古志の復興のため奔走…震災の教訓と遺族の歩み 中越地震から20年《新潟》
水道の写真が数多く残される
32歳で帰らぬ人となった恵治さん。 過労死と認定されました。 車の中には、恵治さんが調べた被災した水道の写真や資料が数多く残されていました。 母の信子さんは、事故を起こす前日、異変を感じていました。
「助けられたかもしれない…」
〈祐治さんの妻・信子さん〉 「車もゆらゆらゆらゆらという感じで普通の運転の仕方じゃなかった。でも、恵治しっかりしているからそういうことないよねって自分勝手に考えてしまって。私が助けられたかもしれんのに……とそれが残っている」
もう一度自分たちが行うことになった田植え
地震から1年半後、星野さん夫婦の姿は山古志にありました。 被災してから初めての田植えです。 息子が跡を継いでくれた田んぼ。 もう一度自分たちが行うとは思ってもいませんでした。
「うつっぽくなる人も」
当時、村の企画課長を務めていた青木勝さんです。 職員たちが業務を終えた後、戻るのは住民が暮らす避難所。 昼夜を問わず「役場職員」としての役割が求められる状況だったといいます。 〈旧山古志村 企画課長 青木勝さん〉 「自分たちが帰るところは被災者と一緒に避難所に帰らなきゃいけないじゃないですか。そうすると住民たちは行政を頼りにするから、行政というのは勤務時間外は行政じゃないという、認識上はそうなったとしても住民の生活の中ではそうじゃないわけですよ。そういう面では、うつっぽくなる人も相当数でした」 住民も、職員も……誰もが経験したことのない全村避難。
1人で全部回っていた
〈星野祐治さん〉 「市の職員だって、ああいう状態になったら何人いたって間に合わない。恵治なんか雪降る中(余震で)山が動いている中、一人で水道関係全部まわっていた。だから過労になるのも当たり前」
能登半島地震で新潟市の場合は
中越地震から20年。 ことし1月には能登半島地震が発生しました。 県内でも被害が大きかった新潟市では、過労死ラインを超える「月100時間以上」の時間外労働をした職員の数は前年度の約3倍、 238人にのぼりました(病院医療職を除く)。 また、新潟市によりますと2800人の応援職員を受け入れましたが、とくに建築や下水道などの部門で人手不足が見られたといいます。 能登半島地震で行政職員の支援に当たった筑波大学の松井豊名誉教授です。
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