【特集】過労死した役場職員 山古志の復興のため奔走…震災の教訓と遺族の歩み 中越地震から20年《新潟》
20年前の中越地震で68人に上った犠牲者。そのうちの1人が旧山古志村の復興に奔走した役場の男性職員でした。過労死と認定された男性の遺族は住まいのあった山古志に通い続けています。亡くなった息子にいま伝えたい思いがありました。 【特集】中越地震20年 山古志のため…過労死した職員 震災の教訓と遺族の歩み《新潟》
毎朝通う山古志の自宅
毎朝8時、決まって出かける場所があります。 それが、20年前に住んでいた旧山古志村の自宅。 〈星野祐治さん〉 「山古志の方が滝谷いるより来ると落ち着く」 現在は妻の信子さんとともに長岡市滝谷町に住む星野祐治さん。 中越地震をきっかけに住み慣れた山古志を離れました。 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「毎日来るんだよ、コイがいるから。私は畑の見回り。この頃、手が回らない、だんだんできなくなって」 山古志の自宅にある池で鯉を預かり、毎日エサやりをかねて訪れています。
夫婦には息子がいた
そんな二人には、コイが大好きだった息子がいました。 〈星野祐治さん〉 「地震の前にいい人を連れてくるって言っていたんだよね。赤ちゃんおぶってエサくれるのが夢だった」 長男の恵治さん、旧・山古志村の職員として水道事業に当たっていました。 山古志村で水道の供給が始まったのは2004年6月。 これでみんなの暮らしが楽になる……完成したときは大いに喜んでいたといいます。
中越地震が発生
しかし、その4か月後、中越地震が発生、旧山古志村は震度6強を観測。 完成したばかりの水道は被災しライフラインがストップしました。 住民全員が村を離れる全村避難を余儀なくされた山古志村。 仮役場は長岡市の市役所近くに設けられました。 避難所で先の見せない生活を送る住民。
毎日のように水道の被害を調査
こうした切実な声は恵治さんの耳にも届いていました。 避難先の長岡市から毎日のように山古志へ通い水道の被害を調査。 避難所に戻れば運営のサポートに回っていたといいます。 2か月ほど続いた働きづめの日々。
車で単独事故を起こす
恵治さんは、山古志からの帰り1人で運転する車で単独事故を起こしました。 両親は事故の一報を聞き、すぐに病院にかけつけました。 〈祐治さんの妻・信子さん〉 「私らが休んでいる脇で痛い痛いというのが聞こえた。自分で痛くてどうしようもないのが聞こえるのが、我慢ならなくて。その日の夜、朝方だか亡くなったんだよね。切なかったよな」
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