「自ら」を保つために「他」を犠牲にする…人類がほかの集団より優位に立つために見い出した「協力」のための取捨選択とは
何が団結を生むのか
家族の絆の代わりとしての最有力候補は、協力的な個人がほかの協力者とともに暮らすことを選択し、いわば自発的に利他的な関係を営むという仮定だろう。ただし、このアイディアもまた、ニセのシグナルに影響されやすいという弱点をもつ。この関係では、利他的気質の強い者ほど、ヒツジの皮を被った非協力的なオオカミの餌食になりやすい。 もう一つの可能性として、純粋に数の理由から、集団がある一定のメンバー数を超えたときに一度(あるいは何度も)「分裂」して新たな集団を形成し、そこにたまたま協力的な個人が多く含まれていた、という考え方を挙げることができる。そのような集団はほかの集団の優位に立つため、選択過程で優遇されたと考えられる。 500万年前、人類は協力がもたらす利点を発見した。しかし、協力はつねに犠牲を伴い、非協力的な態度のほうが有利となる。進化的な安定を得るために、人類は協力行動を小さな集団のみに制限する必要があった。人類は「我々」と「彼ら」を分ける心理を身につけ、「我々」に対してのみ、利他的かつ親切になった。つまり、人間のモラルは自集団に向けられたものだった。 では、人類はどうやって、協調関係をより大きな集団で維持し、協力による利点をさらに高めることに成功したのだろうか。反社会的な行動の不利を増やし、人類をさらに親切に、温厚に、社会的にするには、どんな変化が必要だったのだろう? 『「暴力」と「死」でできた血塗られた歴史…二万年前の”壁画”が克明に映し出す人類の「残酷さ」』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭