「発達障害」といわれるとき、発達の「開始の部分」と「ゴールの部分」はどこにあるのか?
人間の子どもは「生理学的早産」
さて、やがて母親は臨月を経て出産を迎える。この後の成長の節目に関しては、それぞれについて少しずつ述べていくので、ここでは細かく取り上げない。しかし発達の開始の部分と、発達のゴールの部分については、本書の主旨の上で重要と思えることを取り上げておきたい。 人間の子どもは生理学的早産と言われている。スイスの動物学者ポルトマンは、哺乳類、鳥類など高等動物を離巣性、就巣性と二群に分けた。離巣性動物とは生まれた直後にすでに五感の機能と運動機能がある程度備わっており、移動が可能である動物である。就巣性動物とは生まれた直後には五感の働きも運動能力もなく、巣の中で親の濃密な世話を必要とする動物である。離巣性の代表は馬や牛であり、就巣性の代表は猫や犬である。それぞれの生まれた直後の姿を思い描いていただければこの両者の差は分かりやすいのではないかと思う。 さて人が属する猿類はどうかというと、分類の上では実は離巣性の動物になっているのである。自分で動けなくとも、母親にぱっとしがみついて移動ができる。ニホンザルの子育ての映像などを思い描いていただければ了解いただけよう。 ところが人はどうかというと、究極の就巣性とも言える状況である。なにせ、生まれた後、たかだか独歩までにまるまる一年間を要するのであるから(そしてなんと約20年を親の世話なしには自立すらできないのであるが、こちらは社会的な問題で、生物学的な議論からは外れる)。 なぜ人はゾウのように長く長く子宮の中にとどまることをしないで、ほとんど種としては早産のような状態で生まれてしまうのであろうか。これはもう一つの究極の就巣性の動物を比較に持ち出してみると分かりやすいのである。 もう一つの究極の就巣性動物とは鳥である。哺乳類と並んでもっとも高等動物であることは広く認められているにもかかわらず、鳥はなんと卵生なのだ。なぜ鳥は卵生なのだろうか。鳥の鳥たるゆえんは空を飛ぶことである。そのために鳥は進化の過程でさまざまな犠牲を払ってきた。重たいものをすべて体から除いてしまったのである。 まず歯がない。それから骨は中空構造になっている。軽くて丈夫というとどうしてもフレーム構造にせざるを得ないのである。つまり鳥は妊娠できない。赤ちゃんを抱えていては危なくて空を飛べない! だからこそ、卵生が維持され、長い抱卵期を必要とするのである。 人について同じく振り返れば、人の人たるゆえんは大きな脳である。つまりこれ以上大きくなってしまうと、大きな脳が傷付かずに産道を通ることができないのだ。人間の赤ちゃんは生理学的早産の結果として、長い長い時間をかけて、周囲との相互作用の中でそだつのである。