「一人でも多くメンバーを泣かせろ」元AKB48劇場支配人が指示された「残酷なミーティング」の意図…「超一流の先生」が震えながら放った「言葉」の中身
2005年、秋元康氏のプロデュースにより「会いに行けるアイドル」をコンセプトとして誕生したAKB48。大規模な握手会、選抜総選挙など画期的な手法で一時代を築いたこの国民的アイドルグループの黎明期から最前線で戦い続けた男がいた。元AKB48劇場支配人・戸賀崎智信氏が初めて明かす、激動と奮闘の記録。 【画像】当時、ナンバーワン嬢だった女性とキャバクラのボーイ時代の戸賀崎氏 連載第3回前編
無謀すぎる計画
「私、無理です。このレベルの子たちをたった1ヶ月でお金をいただけるようなプロに仕上げたことがありません」 振付師の夏まゆみ先生がこう言って、さじを投げようとしたのが2005年11月4日。AKB48メンバーたちの初レッスンを終えたすぐ後のことだった。 12月1日には彼女らをステージに立たせたい。1期生メンバーがようやく決定したのも束の間、僕たち運営側はこう考えていた。しかし、どうやら夏先生はこの無謀すぎる計画にひどく呆れていたようだ。 当然といえば当然の反応だろう。夏先生といえば、モーニング娘。を育て上げた業界きっての実力者。オーディションに合格したばかりの素人同然の女の子たちを、わずかな期間でステージに立たせるのはお客さんに対して失礼であり、そもそも自身のプロ意識にも反していると考えていたに違いない。 ただ、そんな夏先生をなだめたのが、秋元康先生だった。 「いや、彼女たちはそれでいいんです。仕上がっていなくていい。むしろ成長の過程をファンが一緒に見守り、応援するのがこのプロジェクトが持つ価値なんですよ。だから、まずは最低限の振り付けができるようにレッスンしてもらえませんか?」 AKB48の肝の部分を聞いて、夏先生も渋々ながら納得したようだった。最後は1期生メンバーのレッスンを今後も引き受けることを約束してくれた。
一流振付師への無礼な態度
ただ、それまで水商売一筋でエンターテイメントの世界をまるで知らなかった僕は当初、夏先生の偉大さをいまいち理解できていなかった。失礼を承知で告白するが、そのへんの振付師のひとりだと思っていたのである。 夏先生に対する無礼な態度を思い出すと、いまだに情けなくなってくる。 AKB48のメンバーオーディションがまだ本格化する前だったと思うが、モーニング娘。の福岡コンサートに足を運んだことがある。秋元先生たっての希望で振り付け担当に就いた夏先生がわざわざ招待してくれたのだ。 しかし、このときの僕は正直、“夜の街”のことで頭がいっぱいだった。その晩、もつ鍋屋で食事をした後、みんなで中洲のキャパクラに繰り出すことになっていたのである。そんなチャランポランな気持ちだったので、せっかくのコンサートもろくに集中していなかった。 さらに最悪だったのがその後だ。もつ鍋屋に移動してしばらく経った頃、夏先生が時間を作って店に来てくれることになったのだが、到着した本人はどこか浮かない顔をしていた。いや、普通に考えたらそんな顔にもなる。これからお世話になる方、しかも業界の有名人を自分たちのメシの途中で呼んだのだ。失礼極まりない。 すると、挨拶もろくに済んでいないなか、出し抜けに夏先生が僕たちに尋ねた。 「今日のライブ、どう思いました?」 この空気で下手なことを言うとまずいのは僕にも分かった。しかし、この日一緒についてきた後輩の小林くんは違ったようだ。 「そうっすねえ、やっぱり全盛期に比べたらすこし元気がないかなって感じました」 こんな連中に聞いた自分がバカだった――。心の中ではそんな風に思っていたのかもしれない。夏先生はさらに顔を曇らせ、その適当な評論には反応も示さず黙りこんだ。あとで聞いた話だが、夏先生は「あんなヒドい扱いを受けたのは初めてだった」と周囲に漏らしていたらしい。
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