「一人でも多くメンバーを泣かせろ」元AKB48劇場支配人が指示された「残酷なミーティング」の意図…「超一流の先生」が震えながら放った「言葉」の中身
メンバーに叩き込んだ心構え
そんな夏先生の徹底されたプロフェッショナリズムを思い知ったのは、実際のレッスンが始まってからだ。 まずメンバーに叩き込んだのは、技術というより心構えだった。初日のレッスンから「レッスン終わりのミーティングで一人でも多く泣かせてちょうだい」と夏先生に頼まれ、若干困惑したのを覚えている。オーディションに受かって浮かれている彼女たちの鼻をへし折るのが目的だった。 何を話したのかはいまさら覚えていないが、冷静に、淡々と、「レッスンは遊びじゃない」といったようなことをメンバーには伝えたと思う。実際どのくらい僕の言葉が響いたのかは分からない。けれど、その日以降、明らかにメンバーの顔つきが変わったので意味はあったのだろう。 その後も、なにかあるたびに「もう帰ってもらっていいから」と突き放し、泣こうものなら「泣いてどうすんの?」ときつい言葉をぶつけたりもした。僕もつらかったが、一番つらかったのは彼女たちだろう。でも夏先生は「辞めたら辞めたでかまわないから」といたって冷静だった。 こうしてメンバーに対してアイドルになる厳しさを容赦なく叩き込む一方、夏先生の厳しい眼差しは僕に対してもしょっちゅう向けられていた。 一流の振付師である夏先生は、ベースやドラムが織りなすグルーヴを完璧に感じ取った上で振り付けを考える。あるとき、「これ、完パケだよね?」と聞かれて、意味も分からず「はい」と答えてしまったことがあった。ちなみに、完パケとは「完全パッケージ」の略で、もう変更のない最終音源を意味する。 そして後日、レッスンで新曲の音源を流すと、夏先生の表情がみるみるうちに険しくなっていった。
ふがいなさに悔し泣き
「戸賀崎さん、このあいだ完パケって言ったよね?意味分かってます?」 「……はい」 「いや、分かってないよ。今日の音源、前回と全然違うじゃん。尺が長いし、新しいベース音も入ってるんだけど」 実は、秋元先生は曲に新しい要素を加えたり、逆に削ったりすることが珍しくなかった。このときも直前で「やっぱりこっちで」と新しい音源を渡され、振り付けの事情など何も知らない僕がレッスン前に差し替えてしまっていたのだ。 その後も何度か同じような音源の変更が発生し、そのたび夏先生は不満を爆発させていた。このどうにもならない板挟みやら、自分の至らなさやらに耐えられなくなって、いつだったか外でタバコを吸いながら悔しくて泣いたこともある。 夏先生の厳しいレッスンは毎日23時近くまで行われた。当時はくたくたになったメンバーをスタッフが分担して自宅まで送り届けていて、僕の担当は高橋みなみと板野友美だった。ふたりともまだ14歳の中学生だったにも関わらず、毎日本当によく頑張っていたと思う。 こうした日々のレッスンと並行する形で、AKB48劇場の内装工事も急ピッチで進められていた。そして、当初の予定よりも1週間遅れの12月8日に劇場のオープンが決まる。 その前夜、夏先生がAKB48メンバーに送ったエールはいまでも忘れられない。
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