高倉健さん、菅原文太さん没後10年 八名信夫と谷隼人が語る名優たちのエピソード
俳優の高倉健さんが亡くなって今月10日で10年、菅原文太さんの死去からも同28日で10年となる。名優2人の東映の後輩で、数多くの作品で共演した八名信夫と谷隼人が、CS東映チャンネルの番組企画で対談した。2人との思い出を語るほか、同時期に東映映画に出演していた鶴田浩二や丹波哲郎、若山富三郎、梅宮辰夫といった昭和の名優たちの魅力と知られざるエピソードも明かした。 ■「生涯の兄貴」 八名「俺、健さんが亡くなったとき、ちょうど広島から新幹線に乗っていた。それで電光掲示板を見ていたらニュースが出た。噓だろと思って、もう一回流してくれって言いに行こうかと思ったけど、それはダメなんだよな。涙が出たよ。寂しかったわ。ああいう親方がいなくなると悪役は仕事がなくなるの」 谷「僕は『高倉健が命』というか、健さんが自分の生涯の兄貴というか、そういう気持ちでおりました」 八名「谷は健さんと仲良かったよな」 谷「昭和41年、19歳で初めて『網走番外地 荒野の対決』(1966年)に出たときからかわいがっていただきまして、それからずっと『高倉健命』で来たものですから。でも、健さんは『高倉薬局』っていうぐらい、健康食品をよく食べて、栄養剤の注射をして、ものすごく健康には気を使う人だったのに…」 八名「朝起きて、調子の悪いやつはみんな健さんの部屋に行く。健さんも『おまえはこれを飲め』って薬を渡す。栄養剤、ビタミンC、プロポリス…もう何でもある。そんなのばっかり飲んでいるから鼻血だらけですよ。それでもみんな『ありがとうございます!』ってなるんだけど、先輩の健さんが飲めって言ったら飲まざるを得ないじゃない」 谷「健さんは夜警団みたいなことをやったりするんです。夜、みんなどうしているかって。あの人、寝ないんですよ。濃いめのコーヒーがお好きで、それを20杯も30杯も飲んでいるから夜が長いんです。だからもうそれが大変で、一緒にいてもなかなか寝ないんです」 八名「あんなまずいのはコーヒーじゃないよ。まずどこに捨てようかと考える。健さんに分からないように捨てても、『どうだ。うまいだろ』って言うから、『おいしかったです』と答えると、『もう1杯』って…。青汁じゃないっていうの(笑)」