高倉健さん、菅原文太さん没後10年 八名信夫と谷隼人が語る名優たちのエピソード
谷「そうか、そういうところから『菅原文太』を作り上げてきた人なんだ」
八名「若山さんが文太さんを東映に連れてきたの。それで俊藤浩滋プロデューサーが文太さんを一人前にするために深作欣二監督に預けたの」
谷「それから『仁義なき戦い』とか、どんどんと出るわけですね。もともとは真面目な俳優さんというか…」
八名「会社が作り上げたイメージにちょっと染まっていったけど、それはしょうがないよな」
■少しも動じない丹波哲郎
谷「丹波哲郎さんもすごかったですよね」
八名「佐伯清監督の映画に出たときに、健さんも遅れて来るんだけど、丹波さんはもっと遅くて40分ぐらい遅れてセットイン。俺らはもっと早くから入っているから1時間ぐらい遅れたのかな。佐伯監督が腕を組んでじーっとしている。健さんも鶴田さんもみんな待ってるの。ところが、遅れてきたのに、丹波さんが『今日はどっから撮るんだ。俺はどっから出りゃいいんだ』と。そんなことを言いながら入ってきた。佐伯監督がカンカンになって、『貴様、何様だと思っているんだ。これだけの人間を待たせて、どう思っているんだ』と叫んだら、丹波さんが『俺は鶴田が出ているから、出てやってるんだ。何をごたごた言ってるんだ』って。あれはすごかったな」
谷「僕も『キイハンター』で、丹波さんとは何度もご一緒しましたけど、朝までマージャンやっててパジャマみたいのを着たままいきなりスタジオに来て、『おいどこからやるんだ。今日は何話だ』って。台本広げて『犯人はあいつか』なんて言っているんだけど、『それ違います。もう終わったやつですよ』ってなる。そんなの丹波さんには全然関係ない。せりふは覚えていない。持ってきた台本は違う。衣装はマージャンしていたままの格好。それでもソフト帽をかぶってちゃんとやると一番かっこよく映るんですよ。すごい人ですよ」
八名「鶴田さんも健さんも丹波さんも若山さんも文太さんも、本当にすごい人たちだったな。強さも優しさも、昔ながらの日本人の心配りも持っている。それが昭和の人間。いまの若い人たちに彼らの生き様を教えてあげたいよ」