「みんなと同じでいたいけど、違っていたい」『東大ファッション論集中講義』の著者が語るファッションの魅力
服は単なるイメージではない
――逆に情報の受け手・消費者としての質問になりますが、毎日ネットに大量に流れてくる情報とどのように付き合うべきでしょうか。ぼんやりInstagramを見ていると、ファッションショーの動画や新商品の情報が次から次へと流れてきて圧倒され、自分の欲望、自分は何が好きなのかもわからなくなる気がします。 難しい質問ですね(笑)。でも、デジタルメディア上での体験というのは、手のひらに全ての世界が広がってるように錯覚するんですけれど、限界があると思うんですよね。 例えば、最近はバーチャルフィッティング(パソコンやスマートフォンなどのデバイスを使い擬似的に服などの試着を行うことができるサービス)といった技術もありますが、私たちは自分の体を持ち人間として毎日生きていて、実際の「物」としてのファッションを身につけている。WEARなどのアプリで検索してみたり、ZOZOTOWNでアイテムを購入することは簡単かもしれない。でも、やっぱりデジタルメディアの限界があって、服のテキスタイルの肌触りは触ってみないと、着てみないと分からないんです。 バーチャルフィッティングでは、本当にその服の着心地がいいかまではわからないですよね。実際に自分の目で見て、実物を見て、触って、着てみて、着ている自分を鏡で見る。その一連のリアルな体験があったほうが、生活も人生も豊かなものになるのではないかなと思います。 ――ネット上にある情報がすべてであると思い込みがちですが、よく考えたら決してそうではない! これから肝に銘じたいと思います。 服は単なるイメージではなくて、大きさや重みがあるものです。実際に触れることによって、ファッションの豊かさをもっと広げてみてはどうでしょうか。
「限定商品」は人間の心理をついている
――流行に関する考察もとても共感しながら読みました。「みんなが持っているものを自分も欲しい」「人と同じでありたい」という同一化の願望と、一方で全く逆の「他人とは違っていたい」という差別化の欲望、両方を叶えたいというジレンマがあるという話です。服は単なる所有物ではなく、自分の身にまとうものだからこそ、このような複雑さが生まれるのかなと思いました。 もともとはジンメルという研究者の主張で、私のオリジナルの意見ではありませんが、この話をするとみなさんすごく共感してくださるんです(笑)。ファッションだけではなく、人間の生き方にはそういう面があると私は思うんですよね。 私たち人間はひとりでは生きられない。誰かと接して付き合いながら生活しなければ生きていけない。でも一方で「誰かと私を同じに考えてほしくない」「私はわたし」と感じている。ファッションはそれがすごくよくわかる事例です。 特に流行に敏感な人たちから、時代の空気を読み取って、「次はこれが来るだろう」というものを身につけたり、消費をしています。すると、彼女たちのお友達も「それ可愛い、私も欲しい」と言って、同じようなものを手に取る。和気あいあいと楽しいのだけれども、みんな同じものを持っていたらつまらないですよね。どこかで差別化したい。みんなと同じでいたいんだけれども、自分らしさをどこかで出したい。同じなんだけど違うというその難しい加減を、ファッションというものは微妙に実現してくれる。 「他者と差別化する」「同一化すると同時に差別化する」というのはファッションのシステムだと思います。例えば、ブランドはよく限定商品をいっぱい出しますよね。本当にあれは人間の心理をうまくついている(笑)。誰もが知っているブランドでも、自分らしさやセンスを示したい時に、限定商品はそれを叶えてくれるんです。