沖縄復帰50年 格差や基地問題は解消されたのか?問い続ける1972年生まれの「復帰っ子」たち
内地へのコンプレックスの薄さが強み
1958年生まれで沖縄にルーツをもつ作家の仲村清司さん(64)は、復帰っ子だけが基地や格差など沖縄の諸問題の責任を負う必要はないと言う。いずれも日本全体の問題であって、特定の世代だけで解決できるわけでもないからだ。ただし、復帰っ子世代がそれまでの世代と違う要因も見いだせると言う。 「復帰っ子が高校3年の1990年は、甲子園で沖縄水産高校が準優勝した。その後まもなく、芸能界では沖縄出身者が活躍したり、沖縄を舞台としたドラマや音楽も流行したりと、90年代後半から沖縄ブームが全国を席巻した。海などの自然はもとより、伝統芸能のエイサーや食のゴーヤーなども全国区になった。同じ沖縄県人であっても、それまでの世代と復帰っ子以降の世代では、沖縄という土地の見え方が違うと思う。簡単に言えば、復帰っ子はそれまでの世代にあった内地に対するコンプレックスが薄いんです」
復帰前の内地では、“沖縄人お断り”という貼り紙をしたお店があるなど差別や偏見があったと仲村さんは振り返る。 「沖縄県民にも自分たちの文化や方言に劣等感をもつ人がいて、内地に行った沖縄の人は沖縄出身であることを隠す時代があった。だが、復帰っ子の世代にはそうしたコンプレックスが見られない」 復帰後の3代目の知事で、1978年から1990年まで務めた西銘順治は、「本土に追いつき追い越せ」をスローガンに開発に力を入れた。金武湾の石油コンビナート建設で海が汚染されたり、本島北部の林道工事で赤土が流出したりと環境の急激な悪化が指摘された時代でもあったが、そうした問題を深く知らずに育ったことが、復帰っ子の軽やかさにつながってきた。 「たまたま1972年という年に生まれたことで、彼らは保守・革新という思想信条で溝をつくらず、意見の違いを乗り越えて集まることができる。復帰っ子の強みはそこにあると思う。ただ、すでに彼らも50歳です。貧困や基地集中化も含め、復帰後に生まれた課題もあります。それらにどう向き合い、取り組んでいくか、また、沖縄返還の内実とは何だったのか。その歴史的背景は問い直してほしいと思います」 …… 藤井誠二(ふじい・せいじ) ノンフィクションライター。1965年愛知県生まれ。著書に『「少年A」被害者遺族の慟哭』『殺された側の論理』『黙秘の壁』『沖縄アンダーグラウンド』『路上の熱量』『沖縄ひとモノガタリ』(写真:ジャン松元との共作)など多数。