沖縄復帰50年 格差や基地問題は解消されたのか?問い続ける1972年生まれの「復帰っ子」たち
背景にあったのは、復帰前と復帰後をどう考えればよいかという問いだった。協議会に参加した宮城さんは、復帰を目撃してきた人を呼んで話を聞く連続イベントをおこなった。復帰後の初代県知事・屋良朝苗の秘書、自民党の重鎮県議、反復帰論の論者、報道カメラマン……。証言に耳を傾けていくと、復帰は混乱を生んだことも知った。 1969年の佐藤首相とニクソン大統領の日米共同声明では「核抜き、本土並み」という言葉が出され、沖縄に核兵器は持ち込ませず、本土と同じような施政権を日本政府が持つとされた。だが、現実には、核には密約があった。復帰について論者が「沖縄の米軍基地の集中化・固定化と引き換えだった」と語った言葉に、宮城さんは「脳裏にへばりつくような」感覚を覚えた。
自分たちの責任で解消していく
とりわけ印象的だったのは、1932年生まれの思想家、川満信一さんの回。会場から「うちなーんちゅの心とは?」と質問の手が挙がった。川満さんは「宮古・八重山にしてみれば、かつての琉球からの支配もあった。民族という概念にはアレルギーがある。私は“シマの人間”と言いたい」と返答した。宮城さんが振り返る。 「復帰というとき、沖縄も他の島も一口に言えるわけではない。その言葉に、民族主義というアイデンティティーを前面に押し出すと、差別や排除が生まれる危うさがあると思いました」 一方で、こうした諸先輩は、復帰後の社会を復帰っ子世代に託しているようにも映ったという。米軍基地は、復帰後も沖縄に集中したままでほとんど縮小しておらず、所得格差はいまなお全国平均の74.8%だ。 「沖縄が日本に復帰するまでが27年。この間、本土は高度成長期でどんどん経済的に発展していった。沖縄は復帰しても、インフラや制度の問題が残っていて、本土に追いつくまでに時間がかかった。基地や経済格差の問題は50年経っても解消されていない。この先さらに20年、30年と経っていくとき、問題が解決されていかなかったらどうなるか。復帰っ子なんて呼ばれてきた立場からすれば、それは自分たちの責任で解消していかないといけないんだと思います」