沖縄復帰50年 格差や基地問題は解消されたのか?問い続ける1972年生まれの「復帰っ子」たち
前泊さんは那覇で生まれ育ったが、当初は「復帰」という言葉に対して「道半ば」という認識をもっていたという。だが、80年代にかけて、道路などのインフラが整備され、多くの商業施設もできていった。2000年の沖縄サミット、2001年のNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」ブームなどがうれしく、誇らしくもあり、「やっと沖縄の時代がきた」と実感が湧いたという。 2000年に琉球大学大学院(刑法専攻)を修了し、翌年に沖縄ケーブルネットワーク(OCN)に入社。2002年、復帰30周年の特別番組で「復帰っ子座談会」に取り組んだ。また同時期に2日間のイベントも復帰っ子有志で実施。音楽やアートなど思い思いに表現する総合芸術祭で、「復帰っ子」の名のもとに様々な地域や業種のネットワークが広がった。これらの経験がその後の自身の方向性を決めることになった。 「沖縄はとかく保守・革新という政治思想でもめることがあるのですが、この場では思想信条を超えて、本当にいろんな仲間とつながった。それが復帰っ子としての活動の第一歩でした」
多くの同世代と語ることで改めて実感したことがあった。自分たちが復帰前の沖縄をよく知らないということだ。前泊さんが言う。 「戦後から復帰までの歩みについて詳しく知らないし、5月15日の報道では、米軍基地などに抗議して基地周辺を歩く行事『5.15平和行進』くらいしか思い浮かばない。復帰前、復帰について賛否の意見があったのは聞いていました。人権の問題で日本に復帰したかったという人もいれば、復帰したら沖縄は貧しくなると反対した人もいると。でも、なぜそう思ったのかはよくわからない。そこで復帰前の沖縄をもっと知らなければいけないし、いまの問題について政治思想にとらわれず、意見交換をしていきたいと思いました」 そうした考えの先に2007年につくったのが、復帰っ子連絡協議会だった。復帰当時を知る政治家や経済人、活動家らを招き、当時の大半を占めていた復帰推進論から、「日本は帰るべき祖国ではない」という主張に象徴される反復帰論、さらに独立論までを聞いた。活動するなかで気づいたのは、復帰の問題は地続きで現在につながっていることだった。 「復帰前、多くの人は復帰すると平和な沖縄が帰ってくると思っていたと思います。ですが、復帰しても基地の整理縮小や経済発展はなかなか進まなかった。県内で生じた利益や公共事業での多額の財政投下が県外に流出し、地元企業や県民所得に十分に還元されない『ザル経済』と言われる経済構造があったのです。過去を知るほど、いまの沖縄への課題を感じるようになりました」