「ロールモデルがいない」三浦瑠麗と蜷川実花、それでも捉われた「昭和の育児」の呪縛
「もうやりたいこと全部やろう」って決めた瞬間があった
5歳の頃から、クリエイターになろうと決めていた蜷川。一方三浦は、小説家志望だった。「将来の夢」は、それぞれの家庭環境が大きく影響していたようだ。 蜷川:具体的な職業よりも、まずは「蜷川実花」として認識してもらうということが重要だった。「蜷川幸雄の娘」であるということが、矯正ギプスのように機能して、人格形成だったり、何か物を作る時の原動力になっていたんだなというのは、今、強く思いますね。 三浦:なるほどね。その人の与えられた環境が思わぬかたちであとあと活きてくるというのはありますよね。環境はその人の思想に影響を与えるけれども、それは染まることと同義ではない。考える機会をもらったり、あとは世の中を見るうえでどこに気づくか、とか。私なんかはある意味で旧い家を飛び出した人間で自由主義者の極致なんですけど、その考え方は無から生まれたわけではない。実花さんが特殊な家庭環境をいまある自分に活かせたのは、いいことですよね。「映画は見るものより、撮るもの」っていう感覚ですか。
蜷川:そうそう。幼い頃から、家族でドラマを見ていると「カメラ寄りすぎだよ」とか言う父と、「顔でお芝居してるわね」って言ってる母がいて。そんな環境だったから、あんまり熱中してドラマを見たことがないかもしれない、確かに。 三浦:それって、すてきなことですよ。うちの子は、小さい頃から遊びで「ゲラ直し」をするんです。校正記号とかも覚えてて。私、一番好きなのゲラ直しなんですよね。最後のファインチューニング。それを娘も真似して遊んでいる。 蜷川:小説家志望だった瑠麗さんも、今や「三浦瑠麗」が仕事じゃないですか。私も若干そういうところがあると思いますけど。 三浦:うんうん。自己定義は書く人ですけどね。複数の分野にまたがっていると、一体どこの人なんだって指を突き付けられるところもあるけど。 蜷川:うん。でも、いろんなことやるのって面白い。アウトプットが違うだけで結局、一緒だから。昔は私って何屋なのかしら?って思ったこともありましたけど、40過ぎて「もうやりたいこと全部やろう」って決めた瞬間があって、そこからだいぶ面白くなりましたね。