女子プロレス界"狂気のカリスマ"・ジュリアが週プレで水着グラビア披露「女子プロレスを変えたいならまず自分が大きな存在にならなきゃ」
――自叙伝では、イタリア人の父との生活や家業のレストランの経営悪化、自分探しに行ったアメリカ留学、キャバクラでのバイトまで、私生活をかなり赤裸々に綴っています。 ジュリア 最初は書くつもりはなかったんです。でも自分のことは書かずに業界の課題だけ書いてたんじゃ暴露本に終わってしまいそうだし、書いた方が内容が伝わるなと思った。 例えば、自分がお金に苦労した経験から金銭的な部分にシビアになったことも書けば課題がリアルに伝わるし、今、同じ悩みを持つ若いコにも届けたかったので。 ――ここでジュリア選手のキャリアを振り返ると、2017年10月、女子プロレス団体「アイスリボン」でデビューしてからまだ7年弱。その間にチャンピオンにもなり、女子プロレス大賞まで獲得し、もはや日本女子プロレス界のエースともいえる存在感です。 ジュリア このあいだ振り返って自分でもびっくりしました! ――そもそもプロレスを始めたきっかけは「私でも勝てる」と思ったことだそうですね。 ジュリア 最初見た女子プロレスの印象が最悪だったんですよ。アイドルみたいなコスチュームで試合中もニコニコ笑っていて、なんというかおじさんに媚びるスタイルでやっている。それを見て私はもう吐き気がして「こんなの戦ってないし、この人たちケンカしたことないでしょ!」って。だから最初はそういうやつらをボコボコにしてやりたいと思ってました。 ですが! 実際に入ってびっくりですよ。スポーツ経験も格闘技経験も一切ない私には練習メニューがめっちゃキツくて「こんな厳しい練習を、アイツもコイツもみんな乗り越えてやってきたわけ!?」って衝撃で、これはナメちゃいかんな......って反省しました(笑)。 ――2019年11月、スターダムに電撃移籍した時は大きな批判もありましたが、そこからの開花の仕方は爆発的でしたね。 ジュリア アイスリボン時代に金銭的に追い込まれてプロレスを続けられるかどうかの決断を迫られて、プロレスを続けたい一心でスターダムに移籍したときは、批判も厳しい意見もたくさんいただきました。ただ、その批判を浴びるなかで、ジュリアというプロレスラーが磨かれていきましたね。 一番大きな経験は、新日本プロレスの2020年1月4日の年間最大興行・東京ドーム大会にスターダム代表で出たこと。ファンや関係者からは「ほかにもいい選手がいる」と厳しい意見があったし、自分でもそう思った。 だけど出る以上はやり切らなきゃいけないし、何より「次はみんなが納得するジュリアとして立ちたい」という目標ができた。だからその1年を頑張れて、女子プロレス大賞も獲得でき、翌年の東京ドームには堂々と立つことができた。 でも、デビューからすべてはつながっているんです。アイスリボンでも練習は外部コーチも来てしっかりしていたし、バイトの掛け持ちで寝る間もない厳しい時代に、私のアイデンティティでもある反骨心が培われた。だから私はアイスリボンで生まれてよかったなって思ってます。