現代人の「死に方」は昔よりマシなのか…じつは「この20年」でも大きく変わっている「人が死ぬ原因」
厚生労働省の人口動態統計によると日本人の死因のトップはがん、心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎だそうだが、アンドリュー・ドイグ『死因の人類史』は「人間の死因は過去1万年で大きく変化してきた」と言う。人はどんな理由で死んできたのか。今の死に方は昔よりマシなのか。 【マンガ】「南海トラフ巨大地震」が起きた時、もし「名古屋港」にいたら…
圧縮して死因の変遷をまとめると……
『死因の人類史』の議論を整理すると、こうだ。 解剖学的に今の人類と同じ骨格を持つ最古の人間が出現したのは約20万年前。そのうち少なくとも 95%の時間を人類は狩猟採集民として生き、大勢の人間が大型獣やほかの人間の手によって死に、事故死も絶えなかった。しかしたとえば麻疹(はしか)や天然痘、ペストや腸チフスのような感染症はほとんど発生していなかったようだ。 定住と引き換えに移動生活を捨て、作物を植え、家畜を飼うようになると、それまでより多くの食料が得られるようになった。ただし主食がかぎられた数種の作物になって栄養失調に陥り、凶作による飢饉のリスクにも直面した。 大規模集落での生活は、その地域固有の感染症の蓄積も引き起こす。家畜や汚れた水を媒介に、特に都市部で水痘、風疹などが流行し、感染症が死因トップになる。なかでもペストは何度も流行し、そのたびに人口が大幅に減少した。 感染症を克服するための発想として重要だったのは「データの収集と分析」だ。 1600年頃のロンドンで作成された「死亡表」がその始まりのひとつだった。ジョン・スノウはロンドンでこれらに感染した家庭を調べ上げ、それらの家が共同給水場に置かれたポンプを使っていたことを突き止め、これらは感染した水によって発生した事実を立証した。
衛生対策の確立
肉眼では見えない微生物が病気の主因だとする「細菌論」によって、医学には大きな変革がもたらされた。原因菌の生物が特定されると、その病原菌を死滅させる方法、またはワクチンを製造する方法があらわれる。 ・医師は手洗いと患者を診るたびごとに清潔な衣服に着替えるよう努め、細菌を媒介してはならない。感染者や死体に触れたばかりの手で治療するのは避けなければならない。 ・病院の寝具に乾いた血液や膿を残してはならない。 ・衣服や寝具は定期的に洗濯する。 ・人間の排泄物や体液には触れないようにする。 ・定期的に体を洗う。 ――このような基本的な衛生対策が一般的になったのは、ようやく19世紀になってからである。それまでは少なくない医療関係者が「医者や看護師が感染源になっている」という説に猛反発し、多くの命を奪ってきた。 たとえば出産時やその直後に産婦が細菌に感染して起こる「産褥熱」がそうだ。17世紀のヨーロッパでは女性の「主たる死因」ですらあった。なぜならこのころ産院での出産が始まったものの、当時の病院には細菌が蔓延していたからだ。 産褥熱は、19世紀の半ばにハンガリー人の産科医センメルヴェイス・イグナーツが感染を防ぐ方法を明らかにし、清潔さの重要性を示したことで、医師が別の患者の感染症を産婦にうつすことが避けられるようになった。 19世紀後半には「微生物病原説」が受け入れられ、外科手術における感染予防技術の価値が認められ、帝王切開が当たり前の分娩方法となる。1902年に英国で可決された「産師法」によって1910年以降、助産師は正規の講義を受け、口頭試験と筆記試験に合格し、必要な件数の出産に立ち会ったことが証明されないかぎり、分娩に立ち会ってはならないことになった。乳児死亡率は1840年には1000人当たり39人だったが、1903年には1000人当たり12人にまで減った。現在では出産で命を落とすことは非常にまれになっている。 また、いまでは「五大栄養素」として小学生でも知っている炭水化物、脂質、タンパク質、ミネラル、ビタミンが人間が生きていくうえで欠かせないものだということは、ひとつひとつわかっていった――その過程でも、多くの犠牲を出した。 このようにして人類は暴力、飢餓、栄養失調、感染症に打ち勝っていった。19世紀後半以降には平均寿命が一気に伸び、そこからガンや糖尿病、脳卒中、心疾患が主な死因として登場する。肥満、喫煙、アルコール、運動不足がこれらを悪化させることも知れ渡るようになった。 死因は大きく変化してきたのである。たとえば2000年に最大の死因だった心臓病と脳卒中による死亡率は、予防や治療などの大幅な改善の結果、およそ半減した。ガンの多くも死亡率が後退している。代わって認知症による死亡率が目に見えて増えた。駆け足で『死因の人類史』をまとめればこうなる。