マツダ サバンナRX-7(昭和53/1978年3月発売・SA22C型) 【昭和の名車・完全版ダイジェスト097】
閉塞した時代を打ち破るべく市場投入、日本車離れしたスタイルを持つ本格スポーツカー
この連載では、昭和30年~55年(1955年~1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第97回目は、マツダの野心作と言われた、サバンナRX-7の登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より) 【写真はこちら】リトラクタブルヘッドランプを上げると精悍さから打って変わって愛嬌のある表情になる。この辺の落差も人気の一因となったのかもしれない。(全8枚)
昭和53(1978)年発売の初代マツダ・サバンナRX-7(SA22C型)は、1970年代の中盤以降に登場したスポーツモデルの中でも、かなり衝撃的なデビューを飾った一台だ。 当時、日本の自動車メーカーは厳しい排出ガス規制への対応に終始した感が強く、実際に市場も、高性能なスポーツモデルには若干冷たい視線を浴びせていたようにも感じられる。サバンナRX-7は、そのような市場に突如として投入された野心作であった。 まず大きな話題となったのは、それまでの日本製スポーツモデルの常識を大きく打ち破ったガラスハッチを持つスタイリングで、ボディ全体はワイド&ローのデザインコンセプトに基づいて、極めてスタイリッシュにまとめられた。それまでの日本車にない洗練されたスラントノーズを実現したリトラクタブルヘッドランプも、また当時としては大きな話題だった。 もちろんリトラクタブルヘッドランプの採用は、空力特性の追求に最も大きな理由があったわけだが、実際にはその採用によって得られたフロントノーズまわりの造形が、ヨーロッパ製のスポーツカーに匹敵する美しさを持っていたのが、ユーザーサイドでは話題になった。 改めてこのRX-7のスタイリングを眺めてみると、さすがに現代のデザインと比較すると古典的な趣を感じさせるものの、魅力は色褪せていない。当時マツダから発表された空気抵抗係数(Cd値)は0.36。これは、当時の日本車の中では最高水準だ。 搭載されたエンジンは、53年排出ガス規制をクリアした12A型ロータリー。マツダは、すでに12A型エンジンの量産車種への採用を終えていたが、このRX-7に搭載されたものは同じ12A型でも吸気ポートの形状を変更するなど、若干の改良作業を経て、最高出力で従来型に5psのアドバンテージを持つ130ps/7000rpmを発生するものであった。 トランスミッションは5速MTと3速ATの両方が用意されていたが、もちろんスポーツ性という点で高く支持されたのは5速MT版だった。インテリアもスポーティな雰囲気にまとめられており、インスツルメントパネル内は視認性に優れたアナログ式のタコメーターを中心に配置され、ステアリングホイールも380mm径のスポーツタイプが備わった。 強くスラントしたノーズラインは、リトラクタブルヘッドランプの採用によるところが大きいと前述したが、もちろんボンネットラインを低く描くことができた理由はほかにもある。 それはエンジンのフロントミッドシップ搭載で、実際にRX-7のボンネット内を覗いてみると、12A型ロータリーエンジンは、その軽量コンパクトという特性を最大限に活かし、驚くほど後方にマウントされているのがわかる。 このフロントミッドシップ方式は、スタイリング面に大きく貢献したことはもちろん、前後輪の重量配分を適正化するためにも採用の意義は大きかった。 パワーウエイトレシオで7.73kg/psという数値は、やはり当時の日本車の中では相当に魅力的な数字だった。その走りはさすがに強烈で、高性能RWDモデルらしいダイナミックな走りを楽しむことができた。 軽量であることとフロントミッドシップに由来するフットワークの軽さに加え、極めて優れた回頭性を持っており、そのドライビングは現代のマツダのキーワードである「走る歓び」そのもの。初期モデルでは限界域でリアが急激に流れるトリッキーな面もあったが、次第に改良されていったのも評価される部分だ。 RX-7が真のライバルと目したのは、もちろんヨーロッパ各地で生産されるスポーツモデル。ヨーロピアンスポーツを超越することさえ不可能ではないと思わせた圧倒的なパフォーマンスを持っていたのは事実だ。「プアマンズポルシェ」とも言われたが、現実的には動力性能は勝っていた。 昭和58(1983)年の秋にターボモデルも追加設定されることになる。そして昭和60(1985)年にはフルモデルチェンジが行われ、セカンドジェネレーションへの発展を遂げるのだが、その間にモータースポーツシーンに投入され、大活躍を見せた。