「トルコ海峡史」をひもとく日本人の著書 約100年の時を経てトルコで出版 ウクライナ・ロシアの穀物輸出合意にもつながる
「ローザンヌ条約」締結へ
セーヴル条約に反旗を翻し、祖国解放戦争を起こして領土を回復、トルコ共和国を建国して初代大統領となったのがムスタファ・ケマル・アタチュルクだ。彼はトルコの国父として今もトルコ国民の絶大なる敬意を集めているが、芦田氏が在トルコ日本大使館に勤めていたのは、まさにアタチュルク大統領の任期中である。 アタチュルクが名声を得たのも海峡地帯での防衛戦。第1次世界大戦中、英・仏・オーストラリア・ニュージーランド連合軍は、1915年にイスタンブール占領を目標にダーダネルス海峡のガリポリ上陸作戦を行ったが、当時オスマン軍防衛隊の司令官であったアタチュルクに阻止された。この敗戦により、立案者のウィンストン・チャーチル(英)は責任を取って海軍大臣を辞職し、アタチュルクはガリポリの英雄と称された。 1922年スルタン(君主)制が廃止されオスマン帝国は終焉(しゅうえん)。1923年にはトルコ共和国が主権国家として国際的に承認され、新生トルコ政府は、西洋諸国や日本とローザンヌ条約を調印して海峡地帯への主権も回復した。 芦田氏がこの論文を書いたのは、まさにこの激動の政変の最中である。
芦田氏の評価と指摘、将来へのビジョンから学ぶこと
芦田氏は、ローザンヌ条約における通航制度を「近東の局面に大革命を与えた」と評価し、海洋外交への期待を表したが、いくつかの欠陥点も指摘している。具体的には、「海峡の安全のためトルコが武装解除する」と定められているものの、「他国が同地域で攻撃を行うことを禁じていない」ことなどを挙げた。 また、「各国の海峡通航の自由を最大限に保障すべき」、「海峡の非武装地帯を中立化して全加盟国が海峡沿岸国の安全を共同で保障すべき」、「安全な海峡通航保障のためイスタンブールにある国際海峡委員会の権限を国際連盟の下で強化すべき」などと指摘している。 芦田氏は、戦勝国による勢力均衡方式ではなく、国際機関としての国際連盟の下で多国間の政治的協調と自由貿易による経済拡大の展望を見出していた。 その後、トルコも条約の問題点を指摘し、1936年にローザンヌ条約が改正され、海峡地帯における「トルコの再武装」と「トルコの管理権」が明記された現行のモントルー条約が結ばれた。 海峡地帯の管理権がトルコにあったからこそ、2022年ウクライナ産穀物の黒海からの海上輸送問題においてトルコは海峡を管理する国としてロシアとウクライナ間を仲介し、世界に存在感を示すことができたのである。 なお、芦田氏著書のトルコ語に翻訳された本は市販されず、研究者らには別途贈呈されるほか、トルコ海洋研究基金のHPから誰でも無料で読むことができるようになっている。トルコ人は共和国建国時に関心を持っている人が多く、この時代にこのような論文を書いた芦田氏に感嘆しながら、この本を興味深く読むだろう。 オズトゥルク氏も述べているが、海峡条約は普遍では無い。トルコが海峡を安全に守っていくためにもトルコの研究者たちのほか、日本もこの本から多くのことを学び、将来に繋げていって欲しい。 (イスタンブール支局 プロデューサー・土屋とも江)
土屋 とも江