大洋のエース・平松政次が語る江川卓「我々とレベルが違うというか、備わっているベースが違う」
平松ほどのピッチャーだからこそ、江川のポテンシャルの高さを目の当たりにしたとき、素直に認めざるを得ないのだろう。まさしく「一流は一流を知る」だ。 【いつも100%で投げるだけ】 平松は、社会人までストレートとカーブしか球種がなかった。それでも高校時代はセンバツ優勝、社会人では都市対抗優勝と結果を残し、1966年第二次ドラフト会議で大洋から2位指名を受けたものの、翌シーズンの8月の都市対抗出場のため入団を遅らせた。当時の社会人は、そういうケースが多かった。平松は、8月8日の都市対抗決勝で日本楽器を完封して優勝を果たし、MVPにあたる橋戸賞を獲得。その2日後に入団する運びとなった。 8月に途中入団すると、すぐに先発で起用され3勝。そのうちふたつは完封だった。 「あの3勝のなかでの2完封は、ラッキーの賜物。最初の完封となったサンケイアトムズ(現・ヤクルト)戦は、もうほんとに超ラッキーですから。結果を見れば3対0の完封なんだけど、内容はもう恥ずかしくて......その日はものすごい風が吹いていて、ルー・ジャクソン、デーブ・ロバーツといった外国人バッターふたりに右中間、左中間にいい当たりを打たれたんだけど、風に戻されてね。ラッキー、ラッキーで勝ったゲーム。ふたつ目の完封は巨人戦だったけど、満足したピッチングで完封しているわけじゃないんです」 ラッキーな勝ち方とはいえ、8月中旬からの入団デビューで3勝を挙げた平松に、球団側は未来のエース像を抱くのも無理はない。初めての春季キャンプを迎えた2年目の平松は、そんな首脳陣の期待に反して5勝12敗という成績に終わった。 コントロールがままならず、球種のストレートとカーブのみ。カーブも決め球というほどの威力はなかった。それが、入団3年目の春季キャンプに転機が訪れた。 雨のため体育館で練習中にベテランの近藤昭仁、近藤和彦らが目慣らしをしたいということで平松が投げていると、「おい、ほかにボール、ないんか!」と語気を強めたひと言が放たれた。 平松はカチンときた。「舐められているな、こうなったら」と、4年前の社会人時代のキャンプで日本石油OBから一方的に教えられたシュートを、なんかよくわからないまま試しに投げてみたことから、カミソリシュートが誕生したのだ。