映像作家・空音央が初の長編劇映画「HAPPYEND」で見せたこだわりの演出術
――どの作品も素晴らしいですが、毎回、観直す「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」はどういうところに惹かれますか?
空:僕の中では、これ以上ないと思うくらい完璧な映画なんです。歴史のある瞬間を主題の一つとして描いているにもかかわらず、人物たちを中心に据えている。そのバランスが見事で、彼の全ての作品についてそう思うんですよね。だから、僕にとってエドワード・ヤンは永遠のアイドルなんです。
――エドワード・ヤンは緻密に計算してショットを積み重ねている気がしますが、そういうところは空監督にも通じるのでは?
空:確かにそうですね。エドワード・ヤンはもともとコンピューターのエンジニアだったんです。僕はエンジニアじゃないですけど、作り方がすごく構造的なんですよ。あまりバラしたくはないのですが(笑)、緻密に、構造的に作っていく。多分、天才と言われている監督は有機的にすごいものが撮れちゃう人もいると思うんですけど、僕はどうしてもパーツを組み立てるようにして作りたい、というか、作らざるをえない。そういう映画作りの究極の形をエドワード・ヤンが見せてくれている気がします。
――コウに影響を与えるフミとコウの関係とか、映像のタッチとか、「HAPPYEND」は「牯嶺街少年殺人事件」を思わせるところがありますね。
空:そういえば偶然なんですけど、 大学時代に「やっぱり、映画を作りたい!」って思わせてくれた映画の一つがヴェルナー・ヘルツォーク監督の「アギーレ/神の怒り」で。その後、エドワード・ヤンを好きになった時に彼のインタビュー読むと、彼もシアトルで「アギーレ/神の怒り」を観て、「映画ってこういうことができるんだ!」と思って映画作りを始めたそうなんです。それを知った時には親しみがわきましたね。
――「アギーレ/神の怒り」はアマゾンの奥地に向かったスペイン探検隊を描いた壮絶な物語でしたが、いつか「アギーレ/神の怒り」みたいな映画も撮ってみたいと思われます?