「本当のお金持ち」の街・田園調布は住みやすいのか…不動産のプロが考える「良い街」の共通点
■相続人や「新入り」が味わう苦難 開発されてからやがて100年が経過する田園調布では、住民は高齢化し、相続が増えている。相続人は地価が高いために相続税が支払えない、税金を捻出しようにも相続した土地が売れない、という苦難を味わうにいたっている。 このようになってくると、「住む」という人間が持つ本来の欲望を叶えるはずの住宅が、その膨らみきった資産価値と、その価値を維持するために設けられた様々な制約によって苦しむという、まったく不合理な事態になっていることに気づく。 私の知人で最近、この街に家を構えた人がいるが、田園調布は住環境としては優れているものの、日々の生活を送るうえで、地域内のルールはかなり厳しいものがあると言う。新しく引っ越してきた人は町内会に気を遣い、町内会を支配する高齢富裕層の視線に常にさらされているそうだ。 こうした街は、現代において成功した富裕層には好まれない。起業などで成功したような若い人たちが好むのは、六本木や麻布十番、赤坂といった地だ。他人とは一定の距離を保ちながらも、仕事上の付き合いを深めることができるエリアを好むからだ。 ■資産価値を守る窮屈なルールが逆効果に その昔、「田園調布に家が建つ」という一世を風靡するギャグにもなったこの高級住宅地は、その資産価値を保とうとし、教条化したことによる高齢者支配によって、逆にその価値を貶めることにつながっているとも言える。 田園調布が一等地であったとしても、その住宅でただ資産価値を守るためだけに窮屈な生活上のルールに縛られ、相続にあたっては相続人が多大な相続税を負担する、あるいは売却しようにも「高すぎて」売れない状況に陥っているのなら、理不尽としか言いようがない。 住宅はいったい誰のため、何のために存在するのだろうか。今一度、原点に立ち返って考えてみる必要がありそうだ。 あらためて住宅とは、「住むため」のハコである。住むに快適でなければ毎日の生活に支障が出るが、お金をかけて立派なハコを手に入れても、建物自体は経年劣化していく。住宅がいくら高級な仕様のものであっても、資産価値をいつまでも維持するのには限界がある。