「本当のお金持ち」の街・田園調布は住みやすいのか…不動産のプロが考える「良い街」の共通点
■放射線状に広がる美しい並木道を整備 田園都市株式会社は、現在の目黒区洗足、世田谷区大岡山および当時は調布と呼ばれていた多摩川台の開発に着手する。現在、「田園調布」を冠する街は、1丁目から5丁目と、田園調布本町、田園調布南および玉川田園調布があるが、田園都市株式会社が開発分譲したのが、2丁目の一部と3丁目、4丁目の一部、玉川田園調布の一部の約30万坪である。 1923年8月から分譲されたこの新しい街は、東京に通うエリートサラリーマンの街として脚光を浴びた。特に直後の同年9月に関東大震災が発生したことは、国分寺崖線による強固な地盤を持つこの住宅地の人気に拍車をかけた。 また、1923年3月の東急目蒲線(現東急目黒線/多摩川線)の開通に続き、1927年8月には東急東横線の駅も完成し、東京へのアクセスも向上した。 この街は田園調布駅西側に、ゆったりとした道路が放射状に延び、その先にこれらをつなぐ同心円状の道路が連なる形で構成されている。敷地1区画を広く確保したうえで、広場や公園が設けられていて、道にはイチョウをはじめとした豊かな街路樹が並んでいる。 ■中古でも数億~10億円で「売れない」 こうした綺麗な街並みに惹かれ、戦後には企業経営者や文化人、スポーツ選手などが次々と家を構えたことから、「人生の成功者が住む高級住宅街」として認識されるようになる。 2024年の公示地価では、この街の平均地価は坪あたり257万円だ。分譲当初はサラリーマン向けだったが、今この街において中古で売却される物件は、軒並み数億円から10億円ほどとなっている。これこそが都心部に不動産を持つ資産価値の代表的事例とも言えるが、現状はどうなのかと言えば、「高額すぎて売れない」ことが話題となっている。 この街には、田園調布の資産価値を維持するために、田園調布憲章という地区協定が存在する。この街のエリアの多くが第一種低層住居専用地域に指定されているだけでなく、土地の最低区画面積が165平方メートル(50坪)と定められているため、小規模に分割して販売することができない。たとえば300平方メートル(90坪)の土地を2人の子どもが相続しても、二つに均等に分割して、自分たちでそれぞれの土地に住むことはできないし、片方だけ売却することもできないのだ。 そのため土地部分だけでも販売価格が数億円になってしまい、流通市場での売却を難しくする事態を招いている。建物の高さ制限(9m)や生垣などの整備、緑化や既存樹木の保護など、田園都市を標榜するがゆえに整備した数々のルールも、不動産の流通を妨げるという皮肉な現象をもたらしている。